【日記】漂白しつくした理想郷
こんばんは!
いきなりですが、年度末はすごく落ち込んでいました。
わたしの仕事上、すごく尊敬していて好きな上司が異動になってしまった…_| ̄|○
それが引き金で、赤毛のアンやらなにやら思い浮かべては涙( ;∀;)
思いっきり泣きたい気分だった。
でも、もうすっかり新体制に慣れました。
というか、べつに尊敬しているし好きなまんまだったわ。
何も変わらないし、新しい人たちと過ごせて、それもまたよしでした。
年取ってよかったなぁと思うのは、昔ほど神経過敏じゃないことでしょうか。
あるいは、自分を見つめなおせたからかな。
ほんと、ほんのちょっと前まで『自分』にとらわれすぎて、気にしすぎて、どうでもいいようなことでオドオドビクビクしてたけど、他人はわたしが『自分』に対するほどの関心なんて持ち合わせていないってわかったので(証拠はわたし自身(笑))、わりと好き勝手出来るもんですね。
あとは、えいやっとやってみよう。次につながっていくのなら、それは失敗じゃないよ。
すごく二の足を踏む人間なので。というか、思考停止か。
いっこずつ取り組んでいきます。
さて、今回もメンタル系のお話です。
わたし個人の感想にすぎませんので、ご了承ください。
さてさて、最近、ずっとむかしに、高校生の頃にあった、わたし的にはその後に神経症を発症するに至ったのと同じような状況に見舞われました。
まあ、神経症を発症したのは、そもそもわたしの思考回路がそういう風になっていたからであって、その状況がなかったとしても、いずれそうなっていたでしょう。
で、焦る気持ちやどうしようどうしようという気持ちを味わって、そして、どうしようもないし、どうすることも出来ねえなと開き直り、いまやれることをやってみようという結論に至りました。
目の前のことに集中し、そして、同時に過去の自分の心に思いをはせました。
あの時は、「自分はもうおしまいだ」「どうしてわたしがこんな目に」と、すごい自分を憎んでいたな。自分を励ますでも慰めるでもなく、自分を責め立てていた。
「こんな自分」が憎くて憎くて、大嫌いだったな。
それは若さゆえの厳しさだったのかもしれない。もしも神経症にもならず、その方向で頑張り続けていたら、どうなっていたんだろう。
視野が狭いというのは、まあ、どうしようもない。その頃は家と学校がすべてでしたから。
その中で認められる人間像に寄せていきたかった。落ちこぼれたくなかった。できれば良しとされる人間でありたかった。
そういう立派な人間でありたいのに、なれない。
ほかの人たちには簡単なことが、わたしには難しい。
そんな自分を憎悪した。
…今なら、実は世の中はわたしにそんなことをしろと求めていないし、実はわたしが悩み苦しんできた自分の弱さ醜さすらあっさりと受け流されてしまうほど、広くて深いところだったと思える。
残念ながらわたしはちっぽけで、この世に何の影響も与えられない。わたしが死んだところで、当たり前に太陽は昇る。
なんて無常。
でも、あの時目指した理想郷よりは、かなりマシ。
わたしが自分の頭で考え抜いた、「良い」とされるものを詰め込んだ世界。
自分を徹底的に漂白して、殺して、消して、「カタチだけ」残ればいい、評価されればいいと、本気で思っていたから。
わたしはかつて、ものすごく自分を「優しい」人間だと思っていた。
『優しい』と思われる行動をとって、自己犠牲も厭わない態度でいれば、「優しいね」と言われる。評価される。しかも、そんな言葉に謙遜して、「そんなことないよ」っていえれば、完璧!
心の中は、自己犠牲のおかげで憎しみと恨みでいっぱいだったけど。
そんな心も漂白してしまえばいい。
今さえよければいい。
良く思われたいというその一心で、そこまでやっていた。
そして、本当のところ、わたしには優しさなんてなかった。
「優しい」というのはこういうことだと思って、それらしくやってきたけど、その裏には自分を認めてほしいという気持ちだけがぎっしりと詰め込まれていて、吐き気がした。
最近は、自分を「優しい」と思わなくなったので、たぶん、自己犠牲を減らせてきているんでしょう。…そう思いたい。
いやあ、自己犠牲なんてしちゃいけない、させちゃいけないね。
けっきょく、憎しみと恨みは自分に返ってくるし、そのせいで他人に当たり散らすようになるくらいだったら、そもそも「身の丈に合わない良い評価」を求めるべきじゃなかったんだな。
わたしは身の丈に合わない良い評価が欲しかった。
それでつまづいた。
お金で考えてみれば、収入に対して支出が多すぎた。
自分にはない「優しい」っていう評価を得るために、借金してまで見栄を張った。
自分にはないものだからこそ、その評価が欲しかった。そんな感じかな。
わたしはあの理想郷を棄てたから、いま、自分に優しくできる。
あの時の状況と類似した場面でも、自分を責め立てることなくいられた。
だからたぶん、他人を責め立てる必要もないことだとわかる。
世界はわたしの心を映し出す。
漂白して、色を音を言葉を声を消し、殺しつくすのが理想だった。
わたしを消し去った先にあるのが理想郷だった。
いまではそれは間違いだったと思う。
極彩色の、音に言葉に声に満ちた世界に生きたい。
では、また。