晴れても曇っても雨降っても

目標を探すのが目標。そんな日々。

【日記】効果性について②

こんばんは!

 

今日はことさらに寒く、うだうだしてたら、ブログ書くのが遅くなりました。(言い訳)

たるんでますね。

そういうわけで、ちょっと雑ですが(オイ)、今日も書き綴ります!

 

昨日の続き、効果性について、です。

 

P/PCバランスが取れることで効果的になります。

黄金の卵とガチョウです。

 

さて、『7つの習慣』では資産を三つに分けて考えます。

物的資産・金銭的資産・人的資産です。

 

これらのP/PCバランスの例を挙げると、

 

物的資産…例えばハサミ。モノを切るという成果を生み出します。しかし、ハサミ(資産)の手入れを怠れば、 モノを切れなくなります。道具は手入れをすることで、その成果、活用の効果性は向上します。

 

金銭的資産…人間のもっとも重要な金銭的資産は、収入を得るための能力(PC)です。自分の能力を向上させることで、収入を得る選択肢を広げることが可能です。逆に、能力を伸ばすことを怠れば、会社をクビになることを恐れて、保身に走ることになり、さらに効果性が上がらなくなってしまいます。

 

人的資産…たとえば、どんな人間関係であれ、その関係を維持するための努力(PC)をおこたり、相手が尽くしてくれること、変わってくれることを願っていれば、相手のための親切心や思いやりを持つことはできず、ガチョウ(PC)は日に日に弱ってしまうでしょう。

 

ま、なにはともあれバランスが大事なのです。

成果だけを求めれば、ガチョウは弱る。ブラック企業みたいなものですかね。その時の利益だけを求めれば、設備も人間も使い捨てられてしまいます。しかし、バランスを取り入れることで、設備は長持ちしますし、人間に対しても効果的な働きかけができるはずです。

ただ、PCが大事と言っても、PCにばかり力を入れてばかりもいられません。ジョギングをすると10年寿命が延びるとして、一日に何時間も走る生活をすれば、結局10年延ばした寿命分ジョギングをしているという計算には気づかないようなもの、だそうです。寿命を延ばしたかったのか、ジョギングしたかったのか、わからなくなりますね。ジョギング自体が好きなら問題ないのかな。

 

P/PCバランスを維持するには、黄金の卵とガチョウの健康のバランスを見極める高い判断力が必要になります。

この判断力こそが効果性の本質です。短期と長期のバランス。良い成績を取ろうという意欲と、毎日まじめに学習を続けるバランス。

わたしは、一夜漬けでどうにかしてた人間なので、このバランスはまったく取れてません。短期決戦型。着実に、地道にコツコツと物事を継続する能力が足りてないのは明らかです。瞬発力と、持久力。その両方のバランスを見極めることが大事なんでしょうね。 

 

う~ん、わたしは結果として何とかなれば、それでよい、としてきましたなぁ。

能力の向上のための、持続的な努力は苦手だなぁ。

 

P/PCバランスはあらゆる物事に適用できるので、そういう視点で物事を見てみるのも面白いかもしれません。自分の苦手な部分の本質が分かるかもしれませんね。

 

あ~、取り留めないですけど、遅くなってしまったので、今日はここまで。

 

また明日!

 

【日記】効果性について

こんばんは!

 

なんだか風邪っぽいです。

職場ですでにのどが痛くて、今は市販薬を飲んだけど、頭が痛い。

わたしは頭痛がしてくると、「あ、風邪ひいたな~」と気づくことが多いです。

さ、今夜は早めに寝よう。

わたしの尊敬するアーティストさんは、風邪ごときではびくともしない人なので、それに倣って頑張りたい!(無理はしないけど)

 

今日は、効果性のお話をします。

昨日の今日で『公的成功』ではないのですが、お許しください。

 

『7つの習慣』は、そもそも『効果性』を高めるための習慣です。

『効果性』とはなにか? という問いに対して、イソップ寓話の、『ガチョウと黄金の卵』を例に説明されていました。

 

『ガチョウと黄金の卵』とは、ざっと以下ようなお話です。

貧しい農夫の飼っているガチョウが金の卵を産むようになって、農夫はお金持ちになった。でも、一日一個しか手に入れられないことにじれったくなり、ある日、農夫はガチョウを殺して卵を全部一度に手に入れようとした。しかし、お腹を裂いても黄金の卵は一つもなく、また、ガチョウを殺してしまったので、もう二度と黄金の卵を手に入れることはできなかった。

 

欲張っちゃダメ。ですね。

しかし、コヴィー博士はこの物語から、効果性についての原則、自然の法則を学ぶことができると言っています。

 

つまり、人々が注目するのは『黄金の卵』、つまり『効果』だけを考えてしまうということ。『黄金の卵』を多く生み出せるほど効果的であり、有能であると思っているということです。

 

しかし、この寓話では、真の効果性はふたつの要素で成り立っていることが示されています。

すなわち、一つ目は成果(黄金の卵)、もうひとつは、成果を生み出すための資産や能力(ガチョウ)です。

 

黄金の卵にばかり目を向け、ガチョウをないがしろにすれば、黄金の卵そのものを手にする能力を失いますし、ガチョウを大切にするあまり黄金の卵をないがしろにすれば、農夫もガチョウも食い詰めてしまします。

 

このふたつのバランスが取れることで、効果的になるのです。

『7つの習慣』は『効果性』を高める習慣ですので、このバランスはとても重要で、土台をなすものです。

 

このことは、 P/PCバランスと名付けられていました。

Pはプロダクション(成果)、PCはプロダクション ケイパビリティ(成果を生み出す能力)です。

 

よくやりがちなのが、仕事の成果(P)を得るために、自分という最大の資産(PC)を酷使ししてしまうことでしょうか。

連日残業・休日出勤して成果を上げたとしても、体調不良で休まなければならなくなるくらいなら、適度に休んで、その分効果的に働いたほうがいいでしょうね。 

 

P/PCバランスについては、明日も書かせていただきます。

 

今日は短くなってしまいましたが、また明日! 

 

【日記】私的成功・公的成功

こんばんは!

 

よし! 早く帰れたぞ! と言う日に限って、なんやかんややること(第一領域)が発生して、結局は、いつもより時間がない! となるのはなぜなんでしょう…。

 

ま、悩んでも時間が過ぎるだけなので、今は置いておこう。

 

わたしはコヴィー博士の『7つの習慣』の実践を目指しています。(できてるかどうかはわかんないけど)

『7つの習慣』では、第一~第三の習慣が、『私的成功』(自立)、第四~第六の習慣が、『公的成功』(相互依存)。そして、第七の習慣が、『最新再生』(リニューアル)となります。

 

依存から自立へ、そして効果的な相互依存へとむかうことが目標なのです。

一応、これまでは『私的成功』の部分を書いてきました。

これから書こうと思っているのが、『公的成功』の部分です。

『公的成功』は、『私的成功』(自立)していなければ到達できないモノだと思うので、いまの、まだ自立できていないわたしが書いたところで、その効果をお伝えできるかは疑問ですが、まあ、自立を頑張るためにも先に続く相互依存のことを書いていこうと思っています。

 

で、それぞれの習慣について書く前に、『公的成功』についてちょっと書きたいと思います。

と言うのも、たぶん、『相互依存』といってもピンとこないだろうな、と思うので。

『私的成功』すなわち『自立』は、わりと受け入れやすいんではないかなと。

 

自立とは、『自分の人生の創造主は自分であり、自分の人生の意味・目的を理解したうえで、自分の人生を創造する』ということです。

 

相互依存とは、本当の意味で自立したうえで、さらなる効果を生み出す状態です。 

自立だけでも十分じゃないかなと思いますが、人間はひとりで出来ることには限界があり、周りの人との協力、チーム・組織の力を合わせることで繁栄したという歴史的事実があります。

 

生存レベルで、現代の日本に生きる人間はひとりでは生きていけません。今日口にした食べ物、着た服、靴、身に付けているものも、住んでいる家も、移動手段も、職場も、この世のどこかで誰かが、どこかのチーム・組織が作ったものです。 

 

もちろん、その提供側に自分がまわっていることもありますよね。その場合には対価を受け取って、生活をしていると思います。

 

この世の、人間の世界は、『協力』を基本としています。

『協力』の効果を高めるために身に付ける習慣が、これから書いていこうと思っている第四~第六の習慣です。

 

まあ、正直、『協力』と言われても、難しい部分があると思います。

基本、学校とか職場とかって、気づかぬうちに『競争』で回っているところがあるので。

 

『協力』『競争』については、アドラー先生のお話が分かりやすいと思うので、また今度書きたいと思います。

 

ま、『自立』してれば十分じゃん! 他人と協力なんてめんどう! と思われる方もいるかもしれませんが、お付き合いいただけると嬉しいです。

 

では、また明日!

 

 

【日記】第3の習慣・最優先事項を優先する③

こんばんは!

  

昨日は、うだうだ記事書いて、さて公開しようと思ったら、パソコンがフリーズして、そっから再起動して投稿したら、12時過ぎちゃったという悲しい事件がありました。

連続更新途切れちゃったけど、一日一日、向き合って書いていることだし、まあいっか、と落ち着きました。

さあ、今日もがんばろう。

さて、先週の第二領域を意識した予定の振り返りです。

 

月:新聞を読む。家で『7つの習慣』を読み進める。

火:新聞を読む。家で『7つの習慣』を読み進める。

水:新聞を読む。早く帰って楽器の練習。

木:新聞を読む。家で『7つの習慣』を読み進める。

金:新聞を読む。家で『7つの習慣』を読み進める。

土:習い事。職場の有志での飲み会。

日:自分の目標を描き出す!✖ 

 

 

なんか、水曜日は忙しくなる運命なのかな? 先週も新聞よむ暇も、本を読む暇もなかったです。

その代わり、また木曜日は早く帰れたので、楽器の練習も、本を読み進めることもできました!

土曜日は、楽しみにしてた飲み会で、とても楽しかった! また今月は忘年会があるのので、それを楽しみにして仕事頑張る!

日曜日は、思ったよりもやらなければならないもの(第一領域)が多く、というのは言い訳で、用事を終えてからは第四領域(暇つぶし)ばっかりしてしまって、またもや「やっちゃったな~」という感じ( ;∀;)

まあ、でもパターンわかって来たな。(偉そう)日曜日に仕事(雑用)を残さないように予定を組んでみるか…。

 

スケジュールどおりにいかないことなんて当たり前。それでも、自分の価値観を反映させ、『自分で選択』するということが大事なのだし、やっぱりじっくり自分と向き合わねば!

  

それに、第二領域(緊急でない・重要なこと)って、やっぱり、取り組みづらい。

「こんなことしててなんか意味あるの? もっと楽しいこと(暇つぶし)があるじゃん」って、自分の弱さとのせめぎあい。 

 

さて、今週一週間のスケジュールは以下の通り。

 

月:新聞を読む。家で『7つの習慣』を読み進める。

火:新聞を読む。家で『7つの習慣』を読み進める。

水:新聞を読む。早く帰って楽器の練習。後輩とランチ。

木:新聞を読む。家で『7つの習慣』を読み進める。

金:新聞を読む。家で『7つの習慣』を読み進める。

土:習い事。資格試験のテキスト見に本屋さん♡

日:自分の目標を描き出す!

 

また、今のところ、プライベートの用事なし! 

水曜日のランチは、後輩が誘ってくれました。うーん、そういう主体性をわたしも持ちたいぞ。 

人を誘ってごはん食べに行く。ふむ、今度職場の人を誘ってみるかな~。

 

わたし、もともとは人付き合いが苦手で、人を誘うとか、ぜんぜん思いつきもしないくらいの人間だったんですけどね。

転職してから変わりました。

といっても、今の職場の人たちが良い人達だったから、だけじゃないです。前の職場の人たちも良い人達だったんですよ。 ただ、たぶん、わたしが変わったんです。

 

前の職場では非正規雇用だったので、自分で、「あまり関わってはいけない」というルールを持ってたみたいなんですよね。というか、「この職場に対して、わたしは一切責任がない」って感じかな。

積極的にかかわろうともしなかったし、自分に何ができるとも思わなかったな~。

楽しそうにしてる人たちを妬ましく見てたくらい。

 

転職して、正規雇用になって、なんか、「ここでは真剣に取り組まなければ!」って思ったんです。

定年までぜったい勤め上げる! と決めていたので。

だから、職場の中の役割も引き受けて、単なる雑用ですけど、『自分から人に関わっていかなければならない状況』に飛び込んでいきました。

で、自分から働きかけるの苦手で仕方なかったけど、どうにかこうにかやっていくうちに、楽しくなってきたんです。

その役割を次のひとに引き継いだ時には、「あ~楽しかったな~」って気持ちしかなかった。面倒もあったんだけど、忘れちゃった。

 

その気持ちがあるから、職場の人たちと過ごすの好きなんです。助け合えることを経験したから。そういう機会を持てて、本当に良かった。

  

あ~、忘年会楽しみ!

取り留めなくなっちゃった。

 

ではまた明日。

【日記】課題の分離③

こんばんは!

 

 昨日はあんまりお話がまとまらず…。

飲み会があって、出掛ける時間ぎりぎりまで書いてたのですが…(言い訳)。あ、飲み会はとっても楽しかったです。

 

やっぱり、毎日更新って、大変なんだなぁ。

なにかしら書こうと思えば書けるかもしれないけど、わたしはなかなかうまくまとめられないみたい。うん、うまくまとめようと思わず、とりあえず書くしかないですね。

 

というか、やっぱり変な気負いと言うか、「うまく書きたい」という気持ちが強いみたいです。ああ、承認欲求!

 

アドラー先生は承認欲求を 否定しています。

承認欲求が強いほど、自己中心的になります。え? と思いますよね。他人から認められたいと思っているのに、『自己中心的』という矛盾。

 

承認欲求とは、他人から認められたいと思うこと、つまり、他人から嫌われたくないということ。

考えているのは、「わたしがどう思われているか?」だけで、実は『自分のことしか考えていない』のです。嫌われたくないと思いながらも、実際は、相手のことなんて一切見えていないのです。

 

「嫌わないで」「わたしを認めて」と、顔もわからない人たちに、対象無差別に縋っているようなものでしょうか。

 

だけどね、承認欲求、というか、他人の敷いたレール、他人の期待と言うものに縋りたくなる気持ちも完全には払しょくできないのです。

完全な自由が怖くもあります。嫌われるのが怖いというより、自分の進むべき道を自分で決める重さが怖いのです。

他人が決めた、他人の期待を満たす、不満もストレスもありつつ、自分に責任を感じないで済む気楽な生き方。それも良いんじゃないかと思える。

 

でもまあ、その生き方はいつでもやろう思えばできるので、とりあえず、アドラー先生の対人関係のゴールを目指してみたいとも思うんですよね。

 

他者がわたしをどう思うか、どう評価するかは他者の課題として介入せず、自分の人生に嘘をつくことなく、ただ、自分のやるべきことをやる。

 

やるべきこと、というのは人生の三つのタスク。

「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」

 難易度は仕事のタスクが簡単で、次いで交友のタスク、もっとも難しいのが愛のタスク。

 たとえば、仕事上のやり取りはできるけど、同僚と雑談するのは苦手で、とうぜん恋人なんて作れない。

前の職場でのわたしだな。あ、恋人はいまだに居ませんけどね。 

 

対人関係のゴールは『共同体感覚』です。

課題の分離をしたうえで、『他者』を敵ではなく、味方として捉えられれば、味方の中で暮らす安心感の中に生きることができます。

味方と思うことが難しいんだけど。

味方と思うために必要なのは、自己中心的な考え方、自己への執着を捨て、他者への関心を持つこと、だそうです。

 

だから、承認欲求は否定されるのです。自己執着の表れですから。

 

そして、他者への関心とは、具体的には、「わたしはこの人になにを与えられるか?」と考えることだそう。

自己執着していると、「この人はわたしになにを与えてくれるのか?」ばかりを考えてしまうのです。これは、よくわかる。

 

まあ、つまり、わたしのすべきこととは、職場の同僚のためになにを与えられるか? 友人のためになにを与えられるか? 好きな人のためになにを与えられるか?

 

これを考えて、実行する。とてもシンプルなお話なんですけどね。 

 

ああ、今日もまとまらない~。

 

また明日!

 

【日記】課題の分離②

こんばんは!

 

寒い。お茶の飲みすぎでトイレが近い。

ああ、悪循環。

そして、あんまり考えがまとまりません…。

自分が得た感銘を、ほかの人に伝えるって難しいなぁ。

 

でも! 今日も『7つの習慣』ではなく、『嫌われる勇気』、つまり、アドラー先生のお話をさせていただきます。

 

まあ、断るまでもなく、こういう考え方がある、と言うだけのお話で、これが正解! とかそんなことを言いたいわけではありません。

 

ただ、これから公的成功の部分に入っていく中で、『自立』は必須なのですが、そうなると、『影響の輪』に力を入れなければならず、そのためには『自分がコントロールできるモノ』と『自分がコントロールできないモノ』をはっきりと分ける必要があるのです。

 

その理解に、アドラー先生の『課題の分離』はすごく良いな、と思ったため、書いております。

 

では、行ってみよう!

 

昨日も書いたのですが、 他者から嫌われる可能性、他者から承認されない可能性、そのコストを支払わなければ、自分の生き方を貫くことはできません。

 

だからと言って、悪行を勧めているわけじゃありません。まあ、ただ、自分の人生を真剣に考えたうえで、課題を分離した上でもそうしたいと欲したのなら、それを止められるものはないでしょうけど…。

 

と言うより、これはわたしの個人的な疑問なのですが、いわゆる非行などの行為って、その行為自体が楽しいんですかね? わたしが思春期こじらせていたとき、非行に走るというのも選択肢に上がりましたが、結局、自分のためにならないと思い、却下しました。

わたしはほんの幼児の時分から、利己主義・点数主義? なところがあるので、これから社会に出るのに、受け入れられにくいような行為をするのは得策ではないと判断したのです。マイナスを背負いたくない、という気持ちがあったんです。

まあ、それはどうでもいいですね。

 

『課題の分離』とは、早い話が、「だれが終局的に責任を負うのか?」です。

 

よく例えに出てくるのは、子どもの勉強です。親は子どもに勉強させたくて、叱ったり怒ったりご褒美をあたえてみたりしますが、これはアドラー先生の言う、『介入』です。

 

子どもが勉強しなかった場合、その最終的な責任を取るのは、いったい誰か? 

それは子ども自身です。親は、どんなに子どもを思っていようが、結局、他者です。

勉強したことで得る利益も、勉強しなかったことで得る不利益も、子ども自身が被るものです。

 

ただ、人生の先輩であり、勉強をすることで得られるものを知っているから、だから子どもに勉強をしてほしいと思うのなら、そのことを伝えて、そのうえで子どもに選択させる。

「勉強すること」を押し付けないのであれば 、そういう働きかけはむしろ良いことだと思います。そういう親子の会話ができる、ということのほうが素晴らしいんじゃないかなと。たぶん、子どもはいろいろと理屈をこねますが、それでも、親が自分のことを思って言ってくれている、と思えば、勉強するしないはともかく、自分の人生に思いをはせるんじゃないかな。

あ、もちろん、本当は自分(親)の世間体のためだけど、いかにもお前(子ども)のためを思って言ってるんだ、という恩着せがましさがバレると、最悪な事態になると思いますけどね。

 

そう、人は、良かれと思って、自分が正しいと思うからこそ、他者に『介入』してしまうんです。

人と話していて、「わたしは正しい、この人は間違ってる!」そう思ったことがあれば、「この間違いを正したい!」と思うこと、ありませんか?

 

わたしは結構あるんですが、アドラー先生のお話を思い出して、「ちがう、これは介入だ。わたしの課題じゃない」と言い聞かせてます。

 

でもね、けっこう難しいです。もう、反射的にそう反応する癖があるんでしょうね。

他者に介入しない。

他者に介入させない。

とてもシンプルな理論ですが、実践は難しいです。

 

ん~、そしてうまくまとめられませんでした!

まだまだ理解できてないんだなぁ。

がんばろう。

 

また明日! 

【日記】課題の分離

こんばんは!

 

 寒いです! ほうじ茶おいしい。

あ~、あったかい飲み物がおいしい季節ですね。もう来週は12月なんだな~。

 

さて、今日は、アドラー先生の『課題の分離』について書いていきたいと思います。

『影響の輪』を意識し、自分のコントロールできる事柄にフォーカスして、自分の影響の力を押し広げていく。これを読んだとき、アドラー先生の『課題の分離』を思い起こしました。

 

『嫌われる勇気』では、『課題の分離』が対人関係の 入り口とされていました。

人生の悩みは対人関係の悩み。

ぶっちゃけ、タイトル通りで、『嫌われる勇気』を持つことができれば、自由を手に入れることができます。

それは、『他人の期待のなかに生きない』ことであり、『他人に自分の期待通りに生きることを強いない』ことです。

 

『自分』と『他者』、それぞれに取り組むべき課題に取り組み、『他者』からの介入を許さない。自ら『他者』への介入を許さないということです。

 

アクセス数のことを例にとると…。わたしはもちろん! いっぱいアクセス数があればうれしいです。逆に、アクセス数0なら、悲しくなります。

 

いま書いているような、精神論や自己啓発の話題はどうやら受けがよくないらしい…。じゃあ、受けのいい話を書いてアクセス数を稼ごう! と思ったとします。

 

わたしは、精神論や自己啓発なんかが好きですが、見てくれる人がいなければ意味がないので、あんまり興味の沸かないモノを題材にブログを書くことにした、としましょう。

 

その試みはひょっとするとうまくいって、アクセス数を稼ぐことができるかもしれませんが、常に、『みんな見てくれているか?』『みんなが見たいものは何か?』を考えずにはいられません。自分を捨てて、他人の期待を生きることになります。

 

そしてもう一つ、他人の期待を生きていると、他人にも、自分の期待通りに動いてほしいと思わずにはいられなくなります。

つまり、「みんなが見たいものを書いているんだから、見返り(アクセス数・あるいは好かれること)を期待するのは当然!」

期待外れだと恨みたくなりますよね。「こんなに頑張ったのに…」と、意気消沈し、さらに『他人の期待』を生きることになるかもしれないです。

 

それでは、『課題の分離』が目指す、『嫌われる勇気』を行使するとどうなるか。

 

わたしは自分の好きな精神論・自己啓発を語ります。読んでくれる人はいないかもしれません。ずーっとアクセス数0かもね(´;ω;`)ウゥゥ

わけのわからないことばっかり書いている変人、とか言われちゃうかもしれませんね。でも、わたしがなにを書くのかはわたしの、わたしだけの課題です。

そして、それを読んだ人がどう考えるかは、その人だけの課題です。 

 

そりゃあ、できれば「おもしろい!」と思ってもらえるのが最高だけど、「つまらない」「こんなのたいしたことない」「わけわかんない」と言われることも受け入れます。というか、仕方ないです。わたしには他人の課題に介入することは許されませんから。

 

でも、わたしが書きたいと思い続けるのであれば、それを止めることができるものは、わたし自身以外に居ません。

 

これが本当の自由で、『自由とは他者から嫌われることである』と表現されていました。 

 

他者から嫌われる可能性、承認されない可能性、そのコストを支払わない限り、自分の生き方を貫くことはできない。

 

でも、そうすると、自分勝手に自己中心的に生きることになるのでは? と思いますよね。

 

そう、それはね…。

 

 

 

 

 

 

今日は遅くなってしまったので、また明日!