【日記】課題の分離④
こんばんは!
今日は希望通り温泉(と言う名の大衆浴場)へ行ってきました。
ほくほくです。(表現違うかな)
それと、両親にお年玉を渡してきました。
ありがたがられました。
さて、わたしは昔、両親を憎んでいました。
現在は、その気持ちはない、と思います。ただ、何かあれば怒るし、感謝もすると思います。
憎しみ、怒りは、結局のところ甘えだったのだと思います。
『両親』という『特別な人間』だからこその甘え。
『両親』なんだから、という甘え。
憎むことで、怒りをぶつけることで、操作しようとしていた。いや、わたしの場合は、『両親』のせいにして自分の困難から逃げようとしてただけ。
いまは、両親をごく普通の人間としてとらえています。
『両親』というだけで、かなり期待していたんです。
いまでは、親が子どもに特別に期待する気持ちがよくわかります。
子どもが、『親』に『期待』している、縋ってしまう気持ちもよくわかります。
ただ、今では、そのどちらも、良い意味でも悪い意味でも、普通の人。良いこともするし、間違いもおかす。ごくごく普通の人であると理解しています。
わたしもごくごく普通の、平凡な人間。ただ、勇気を持てず、一歩を踏み出すのにかなり時間がかかるというだけです。
ほんとうに、ただそれだけだったんだと、じんわりと理解しました。
自分にも、過大な期待をしていました。『出来る人間』でありたかった。そうじゃないと、世間から認められない、そんな価値観があったんだよなぁ。
でも、そんなこともないんだな、わたしはわたしで、やれること、努力できそうなことからやっていけばいい。『こうなるべき』姿、なんてほんとうはない。
そう思えるようになってから、人に対しても期待をしなくなりました。
わたしが一番期待していたのは親と自分自身だったから、そこを乗り越えられたら、あとはそんなに難しくない、気がします。まあ、まだまだわからないけど。
だって、 自分のことを思えば、他人にすべてを求めるのはおかしなことだと思えるから。
わたしはだらけちゃうし、なんもかんも出来るわけじゃないし、精神的にも弱いところがあるとわかっているからです。
だから、ほかの人がだらけていても、なにもかもやってくれなくても、精神的に弱いところがあったとしても、「まあ、そうだよね」と思える。
わたしの行為に対して終局的に責任を取るのは、わたし自身。
相手の行為に対して終局的に責任を取るのは、相手自身。
それだけのことで、とても気分はラクになりました。
相手にも自分にも期待しすぎない。
取り留めなくなっちゃいました。
ではまた明日!