晴れても曇っても雨降っても

目標を探すのが目標。そんな日々。

【日記】再新再生(リニューアル)

こんばんは!

 

何事もなく無事に新年を迎えられました。

皆様にとっても、わたしにとっても、実り多き年となりますように。

 

『7つの習慣』は、今日はお休みして(でも、タイトルは拝借した)、思ったことを書こうと思います。ま、単なる日記ですね。

 

今日は、お金をつかわない日なので、何の目的もなく、お財布も持たずに散歩に出ました。

川を眺めながら、土手の道をひとりで歩きました。寒かったですが、とても静かで、心が落ち着く感じがしました。(作文か)

 

普段は職場と家の往復に通る道しか歩かないので、新鮮な気持ちになります。

そこは、たまに気が向くと散歩するのですが、なぜか、寒い季節にしか歩かないんです。なにか思うことがあるのは、いつも寒い季節なのか。

寒い季節、日が短くなっていき、冬至はもっとも日が短くなる日であり、同時にその日から再び太陽は力を取り戻していく。復活の日

ま、冬至はとうに過ぎましたけどね。

その連想から、『再新再生』を思いました。

死と再生。何かが終わり、何かが始まる。

『死』『終わり』と言っても、完全な分断ではなくて、連続する成長の道。 

昨日、「勇気ある人間になりたい」と書きましたが、わたしの中で『勇気』の解釈が変わったことに気づきました。

かつては、『勇気』は自力で頑張ってがんばって振り絞るものでした。自分に対し、あるいは他人に対し、振り下ろすための力です。

今は…うまく言えませんが、『信頼』の変化形でしょうか。

それは、自分自身への信頼であり、また、他人への信頼、世界への信頼、とでもいうような。

って、なんだそりゃ、ですね。わたしも、まだうまく表現できません。

例えるなら、わたしは楽器を習っていて、先生からご指導いただいているのですが、その内容は、言わば「力を抜いて自然に任せよ」ということでしょう。 

だからと言って、なすがまま、と言うわけじゃないです。うーん、やっぱり、表現が難しい。  

まあ、ぶっちゃけ、「こうしたい! こうなりたい! こうしよう!」という思いが、ダイレクトに演奏に出てしまうんです。余計な、無駄な力として。

良くしよう、うまくなりたい、という気持ちなんですけどね、それが結局邪魔をしているって感じです。 

確かに、余計な力が抜けると、良い音が出せるんです。ただし、そこまで来るには何度も練習する必要があるけど。歌もそうですね、声が伸びるのは、力を込めすぎていないときです。まったくの脱力でもなく、かといって力みすぎず。

ま、『勇気』もごく自然なものだったんだ、ここに、今もいつも常にあるものなんだって言いたかったんです。

がんばらなくても、いつもそばにあるもの。そんな感じです。

それが、いまは『信頼』と結びついている。これも、うまく表現できませんね。連想なんですよ。

孤立無援、それを打開するための勇気を振り絞って来た。自分の人生に灯をともそうとしてきた。だけども気が付けば、周りにも そんな灯が無数にある。そのことにようやく気が付いたって感じでしょうか。

『嫌われる勇気』で、勇気のたいまつを掲げよう、それはきっと誰かの目に留まる、誰かの勇気になる、というような表現があったので、それに影響されてのことでしょうね。

 

かつてと今と、ちょっとずつ違っていく。

思いも解釈も願いも。それでも、その変化の連続こそが自分自身である。

きっとこれからも、冬の寒い日でなくても、再新再生を繰り返していくんだろう。 

 

そんなことを思う日でした。

 

では、また明日!