【日記】第5の習慣:まず理解に徹し、そして理解される
こんばんは!
今日も悩みましたが、先に進もうと思います。
まあ、理解は及んでいないので、かなり説明的文章となります。
備忘録だね。
第5の習慣:まず理解に徹し、そして理解される
共感によるコミュニケーションの原則です。
コヴィー博士はコミュニケーションにおいて、『聴く』ことを重要視しています。
コミュニケーションの基本は、書く、読む、話す、聴く、の四つ。
効果的な人生を送るためには、この四つの基本的なコミュニケーション能力を伸ばさなければなりません。
なぜなら、わたしたちの一日は、ほとんどがコミュニケーションに費やされるからです。その中で、ほとんど鍛える機会を持たないのが、『聴く』です。
ただ、わたしが昨日書いた、『態度だけよく見せよう』としていたような、ただの小手先の傾聴スキルではだめで、『第4の習慣:Win-Winを考える』で必要とされていた『人格』の強さと、協力を原則とした『人間関係』がなければ、達成できません。
『共感』とは、相手の視点に立ち、相手の目で物事を眺め、相手の見ている世界を見ることです。
人間は、それぞれのパラダイム、ものの見方をします。すべてをあるがままに見ているのではなく、すべてを自分と言うフィルターを通して見ます。
みんな違うものの見方をしているのです。
その違いを認めることはなかなか難しく、特に、勝ち負けの世界に生きていれば、自分との違いを認めることは困難になります。なぜなら、相手の見方を認めることが、『負け』のように思えてしまい、拒絶したくなってしまうからです。
そうなると、自分と異なった考え方の人間を遠ざけ、自分と同じような考え方の人間とだけ付き合おうとします。自分のクローンなら、自分を傷つけることはないですから。
そのため、『共感』できる人と言うのは、ゆるぎない内面の安定を持っていなければなりません。『共感』は自分の心を閉ざしていてはできず、まず自らの心を開き、弱く傷つきやすいところを晒さねばなりません。そのため、相手の世界を見ることは、自分自身にも影響を及ぼさずにはいられません。良きにつけ悪しきにつけ。
その影響を拒絶せず、しかし飲み込まれずにいるためには、内面からの強さが必要となります。
まあ、たいていのコミュニケーションでは、『聴く』といっても、相手を評価したり、自分の人生に当てはめて、相手のためになると思っている助言らしきものをしている、というレベルが普通です。
これは、『聴く』とは言えないものです。単なる、自叙伝の押し付けになってしまいます。
この例として、お医者さんの診断が挙げられていました。
例えば、わたしの目が悪くなり、見えにくくなったとします。そこで、メガネの処方箋を書いてもらおうと眼科を訪れたとしましょう。
そこで、もしも、お医者さんから、お医者さんの掛けていたメガネを手渡され、
「このメガネはいいですよ。すごくはっきり見えます。うちにはもうひとつ同じメガネがありますから、あなたにこれを差し上げましょう」
と言われたら、「ふざけるな!」と思いませんか?
しかも相手は得意満面です。良いことをしたな~と思っている様子です。もう二度とこのお医者さんに診てもらおうとは思わないでしょう。
医師は処方する前に診断を下します。
相手の状態を理解してから、処方箋を書きます。理解せずに処方箋を書くなど、プロとしてありえないことでしょう。
しかし、コミュニケーションの場では、こういうことって多いですね。「自分はこう思う」をいかにうまく相手に伝えるか、ばっかりを考えています。
わたしは相手の話はろくに耳に入らず、「なにを話そうか」ばっかり考えてました。
いかに理解してもらおうか、ってことですね。
これは、主体性、影響の輪(自分のコントロールできること)に取り組んでいくしかないですね。
わたしにできることは、「相手を理解しようとすること」であって、「相手に理解させること」は不可能ですから。
やっぱり自立だな。
では、また明日!