【日記】第一の偉大さ・第二の偉大さ
こんばんは!
今日はちょっと仕事でミスが発覚し、しょんぼりです。
そのミスを取り返すため、ほかに予定を組んでいたものを遅らせることにしました。
まあ、今日やらなきゃまずいものではないので、そこは問題ではない。
ただ、そのミスについて先輩方からお叱りと言うか、注意されました。まあ、当たり前なんですけどね。
そこで、わたしは内心、「なんだよなんだよ、そんなに言わなくたっていいじゃん」とすねていました。
で、いつもなら、「いや、こういう態度ではよくない。むしろ感謝しなければ」と、無理やり気分を変えようとするんですよ。『こういう態度が正解』というものを持っているんです。
でも、それってポジティブ・シンキングとかのテクニック?を駆使しているだけだと気づきました。まあ、態度は立派に『見える』かもしれないけど。
そう、わたしは『立派そうに見える』態度をとることを選択していたんです。
まあがっかりですね。もっと立派な人間だと思っていたのにな。
だから、うちに帰ってからゆっくり考えてみました。
『7つの習慣』では、社会的な成功・社会的な評価の高さを『第二の偉大さ』と呼んでいました。わたしの態度、「注意を受けてもふてくされることなく前向きにとらえ、感謝すらする」。これって立派ですよね。社会的に認められる『第二の偉大さ』です。
社会的に評価される態度だと思います。いちいちふてくされていたら、お話にならないから。
…というのが、わたしのパラダイム、ものの見方だったわけです。
「世間一般に受け入れられる態度」をとる。その態度をとっていられれば、『立派』に見られる。
でも、その内面は決して立派ではなかった。評価されたいからあたかも立派であるかのようにふるまっていただけ。単なる小手先のテクニック。
まあ、そのテクニック自体を否定はしません。ただ、テクニックだけでは、いずれ化けの皮が剝がれるでしょうね。
わたしは一夜漬けとかばっかりしてきたから、本当の実力、というものには自信がありません。付け焼刃、なんとかしのいできたって感じかなぁ。
『7つの習慣』は、『第一の偉大さ』(すぐれた人格を持つこと)へつながるものです。すぐれた人格が第一。
『第一の偉大さ』は農業に例えられていました。農業では一夜漬けは通用しません。春に種まきをし、夏に手入れをし、秋には収穫。自然のシステムに従って、必要な手順を踏む。種をまいたものしか刈り取れません。
今回のことを表面的なところより深いところで考えてみると、「注意されてイライラした」「でも、やっぱりミスはなくしたい」「そのためにやらなければならないことが面倒だな~」って感じ。
そう、実は先輩方にイライラしているのは上っ面で、本当は、面倒なことをしたくないだけでしたとさ。
またがっかりしましたけど、もう一度自分に「どうしようか?」問いかけて、心に決めました。
そういうわけで、来週は月曜日から仕事頑張るぞ~!
今日はここらへんで。
また明日!