【日記】第一の習慣:主体的である
こんばんは!
なんとか三日坊主をまぬかれた、かな?
とにかくやれるだけやってみよー。
さて、今日は『7つの習慣』の第一番目、『主体的である』について書きます。
これは、『7つの習慣』の基礎的な部分です。土台とでも言いますか。
主体的である、を説明するために、その対義語とともに説明します。
『反応的』…自分には責任がない。自分の反応を選ぶことはできない。
『主体的』…自分に責任がある。何が起ころうとも、それが自分に与える影響を自分自身で選択することができる。
つまり、みずから動くのか、それとも、動かされるのか、という違いです。
同じ行動をしたとしても、その成長度合いには大きな開きが生じてしまうのだそうです。
もしも、『問題は自分にはなく外(環境や状況)にある』とし、それを変える力を自分が持っていないとするのなら、その人は外(環境や状況)に支配されている、と言うことになります。自分の意志では、問題を解決することはできないのです。
そしてもしも、『問題は外(環境や状況)にあるのではなく、自分の中にある』とするのなら、その人は自分の中を変えることによって、問題を解決でき、外(環境や状況)に支配されません。外に力を与えず、自分の中に力を養う態度と言えるでしょう。
『問題は自分にはない』と考えるほうがラクですけど、どんどん外からの支配を強めて、自分の力が弱くなってしまいます。
わたしはこれを実践中ですが、まあ、まだ「あ、無責任ってこういうことか~」と自分の行動を見ている程度で、まだまだ「自分の力」を感じれてはいません。だから、あんまりうまく説明できてないな~。
これは、絶対的な自由だと思うんですよ。どこにいても、誰といても、『自分』を見失わずにいられる力だと思います。
『主体的である』にはほかにもいろいろおもしろいたとえなんかがあるので、また紹介します!
おやすみなさい。