晴れても曇っても雨降っても

目標を探すのが目標。そんな日々。

【自己満足】自信とはなにか?

こんにちは!

 

いやあ、更新が滞ってました。

最近、自分の内部でどうにも停滞感があって、

立ち止まって同じところをグルグルしているのも、

そろそろ飽きたな~。

 

というタイミングで、ツイッターにて心理系のつぶやきを見つけて、

「これだ!」

と延々眺めておりました。

 

まあ、今の時代って、欲しいと思う情報って即座に検索できるから

すごい。

 

というか、わたしが好み、求める心理系のものって、

何年も変わらないんだけど、わたしが忘れ果てたころに欲しくなれば

すぐに与えられるとか、この世はやっぱりすごいな。

ネット環境がなければ、たぶん、古本屋に駆け込んでたな。

日本て素晴らしいな。

 

と、ちょっとハイテンションです。

(これ、のちのち後悔する奴か…?)

 

 

これまでもメンタルの話が多いですが、

これも、またメンタルのお話です。

すいません、なんか、こういうことばっかり書きたくなる。

まあ、こんなこと考えてるやつがいるんだ~くらいの気持ちで

生ぬるく読んでもらえると嬉しいです。

 

わたしの「ねえねえきいて!」にお付き合いいただける方、

もしいらっしゃれば、よろしくお願いいたします。

 ※長文です。

 

最近のわたしは、けっこう幸せだったと思います。

いきなりなんだ、と思われるでしょうが。

さほど大きな不満も、イライラもない。

 

これまでの記事で書きなぐりましたが、まあ、人生いろいろあって、

人を憎み妬みそねみうらやみ、ギリギリ歯を食いしばって生きてきました。

一言で言うなら、

 

 

ストレスはんぱねぇ

 

な、人生だったわけです。

 

ストレスゼロなんてありえませんが、まあ、最近は穏やかだった。

自分比だから、どの程度かわからないけど。

たまにムカつくことがあっても、心の中で痛罵すれば治まるし。

 

 だけどなんかな~と、もやもやしてました。

仕事はまあ割と順調。人間関係も、そこそこっていうか、かなり良い。

なんだろう、「ここにわたしいてもいいんだ」っていう安心感のある職場。

妬み嫉みのかたまりであるわたしは、

だいたいすねてて、まえの仕事ではずーっと

「ここにいていいのかな? 迷惑じゃない?」という

謎の疎外感と不安が絶えなかった。

 

というか、実際は「ここに居たくない!」というのが本音だったんだろうけど。

 

とりあえず、わたしの周辺では特にトラブルもなく、

「幸せなんだろうな~」と自分を納得させようとしたけど…。

 

うん、なんか違う。

 

霞がかかっているというか、大事なことを見落としてる焦燥というか。

 

気分を上げようと大好きなお肉♡食べたり、

大好きな曲を飽きるまで聞いたり、

大好きな小説をむさぼるように読み耽ったり。

 

およそ思いつく楽しさを追求してみたけど、

コレジャナイ感

 

む~ん…

 

 

まあ、わかってました。

意識的に気分上げようとしてる時点で、

求めてるのはこういうことじゃないよな~って。

 

でも、うすうすわかっているけど、あれってとてもめんどくさい。

そしてとても傷つくやつ。

 

自分の隠してる欲求を見つけ出す作業。

 

探し方は結構簡単で、自分の心がギュッと鷲掴みされるような、

ゾッとするような、そんな感覚を頼りに心の中を掘っていく感じです。 

 

 「うわっ、ヤダ!」

 

と、顔をそむけたくなるものをガン見する。

悪趣味かもしれないけど、これは、けっこう病みつきになる。

始めるまではイヤなんだけど、見つめ始めたら、わりと平気。

 

そして、驚くほど安心? 落ち着いた気分になれる。

 

今回のお題は職場の女性の結婚でした。

 

それを知って、胸が痛くなった。傷ついた。

でも、別にわたしの好きな人と結婚する、とかではない。

 

それだったらまだ納得できる。失恋は辛いもの。

 

でも、そうじゃない。だから見て見ぬふりをして、

「つらくない、平気」

と、振り返ると不自然な宥め方をしていた。

 

あ~、つらくて平気じゃなかったんだよな~。

でも、なんで辛くて平気じゃなくなってしまうんだろう?

 

まあ、ぶっちゃけると、

わたしが手に入れていないアイテム(結婚)を

手に入れた女が憎い!

 

ってだけ。

 

これはカタチだけを求めていて、

資格を取るみたいな感覚で、結婚を捉えているから起こる苦しみ。

 

これ持ってたら他人に優越できる、

と、わたしが思い込んでいるだけのこと。

つまり、それを持っていないわたしは劣っているという、いつも通りの幻想。

 

そして、もしも念願叶って結婚出来たら、ただそれだけで

「結婚していない人 」を見下すつもりということ。

口で何と言おうが、わたしの心はそういう反応をする、ということです。

あ~嫌な現実。

 

心がギュッと締め付けられるのは、

「見下された!」

という傷つきのせいでしょう。

 

でも、もっと嫌な事実が。

そのひと(職場の女性)がわたしを見下しているわけじゃなくて、

わたしがわたしを見下して、傷つけているだけなんです。

 

 わたしには他人の心なんて読めない。

わたしにわかるのは、自分のことだけ。

 

だから、傷つくっていうのは、究極、

自分で自分を傷つけているってことなんだよねぇ。 

 

『世間の人が当たり前にできることができない

 世間の人が当たり前に手に入れているものも手にできない無能』 

 

 という刷り込み。

 

大学進学を断念したときも、周りのことをうらやみねたんでいたな。

その人たちの人生すべてを知っているわけでもないのに、

ただ大学に進学する、という一点だけをみて、憎んでた。

 

就職氷河期と不景気のおかげで、

手に入れられなかった正規雇用と安定したお給料については

さほど恨みを抱くことはなったけど。

それでも、やっぱり手に入れたくて転職活動をしたのだから、

わたしの行動原理に深くかかわっているのは間違いない。

 

転職して、

正規雇用と安定したお給料をもらえるようになって、

かつての職場を見下しているか? と言われると、

う~ん…

 

いや、就職とかって、運ゲーじゃない? 

 

もちろん、雇われるまでの過程もだけど、

大事なのって、雇われた後だし。

就業条件はわかるけど、入った後はどうなるかわからないし、

倒産だってありうるし、人間関係でつまづくかもしれないし。

 

正規雇用、非正規雇用という単語だけでは計り知れないモノがある。 

それは、たぶん、実際に経験したからそう思えるんだろう、と思います。

経験していなかったら、ただの単語でしか考えられないのは仕方のないこと。

大学もそう。全日制ではないけど、一応大学卒業して思うのは、

思っていたより普通のことだった。

 

勉強して、試験受けて。いろんな人がいるんだなって。 

 

ただひとつ言えるのは、

「大卒で正規雇用だと高卒よりもお給料が良い!」 

 

高卒大卒院卒いますが、仕事ではほとんど仕訳けられることもなく、

同じような業務なんですけどね、基本給から違う。

非正規だと、わたしが雇ってもらってたところしかわかりませんが、

高卒以上だと、区別ないんです。みんな一律。

(非正規でも、区別あるとこもあるかもですが)

 

いやもう、ほんと、

「仕事内容変わらないのに、大卒と言うだけで給料が違う」

と教えてくれた先輩、ありがとう!

うちの職場もそうだったよ!

 

閑話休題

ええと、そう、つまり結婚したことがないから、空想で自分を傷つけてるんです。

『みんなが当たり前にできることなのに!』って。

いやいや、『みんな』なんていないよね。

 『当たり前』なことなんてこの世にないよね。

 

ただ、わたしが、結婚にあこがれて、

結婚したいなって思っているだけだよね。 

 

 その気持ちをシンプルに感じることができないから、

まだるっこしいことになっていたのでした。

 

 「婚活市場では高齢だから」「条件が悪いから」

 「できもしないことを求めるなんて愚か」

「失敗してみじめになりたくない」

 

「そんなことができる自信がないから…」

 

 

ここまできて、やっとタイトル回収。

 

でた! 自信!

 

ニートから働き始める時も、

通信制大学はじめようかどうか悩んだ時も、

転職したいけどどうすればいいんだろうと不安になった時も!

 

わたしには自信がないからできないんだと言える、

万能の言い訳アイテム!

 

自信をつけたくて、資格試験とか受けました。大学も卒業した。

転職もした、貯金もした。

確かに、自分の努力が報われる喜びを感じたけど、

 「よし! これで自信が付いたぜ! なんでも来い!」

 とはならないんだよね。

 

やっぱり、つねに、新しいことを始めるのは怖い。

失敗が怖い。みじめな思いをしたくない。

 

自信がつけばできる気がする。

誰かに優越している自分ならば、できるようになれる気がする。

 

という、妄想幻想。

 

実際には、その行動をするかしないか。

ただそれだけ。

 

その結果が失敗だったとしても、そこから別の道がつながっていくだけ。

軌道修正をするだけ。

 

わたしにとって自信とは、

やってみたいことがあるのに

怖くて踏み込めないときに使う言い訳。

 

そして、

失敗して、みじめな思いをして、崩れ落ちてもいいよ。

どんなに落ち込んでもへこんでも、

どうせ、また歩き出せるんだから。

 

という、

これまで生きてきたしぶとさ図太さに対する、

自分自身への信頼です。