【自分なりの】コンプレックスとの付き合い方
こんばんは!
GWですね! お休みうれしい!
しかし、普段は食べないおやつを買ってしまったりと、
お出かけしなくても余計なお金がかかってるぅ…( ;∀;)
連休中はどこも混んで、とにかく移動が面倒だし、
なによりも車の運転に不安がかなりあるため、
今のところは出掛ける用事はないです。
明日はお墓掃除に行こうかな~。自転車で行ける距離なので。
さてさて、本題に入りますが…
コンプレックスといえば、
おそらく劣等感の意味でつかわれることが多いのかな?
精神分析では「複合感情、複合観念」とも言うようですね。(調べた)
精神分析のほうは、
おそらくは本人がそれを意識するのは難しい領域のもののようなので、
ここでは「劣等感」ということでお話をすすめさせていただきます。
わたしはひとり暮らしを始めたころから家計簿をつけていて、
だいたいひと月、一年の支出というのは、
通常では、なんらかのイベントがない限りは大差ないものでした。
ただ、わたしには自分でもわかっているのに、
お財布のひもがゆるんでしまうものがありました。
それは、資格試験のための費用です。
大学についても、自分としては『資格』という位置づけなので、
その費用も含めると、おそらく250万円ほどつかいました。
自己投資という耳障りの良い言葉でごまかすこともできますが、
役に立ったものも役に立たなかったものもあり、
正直、そもそも、これ(資格)あってもわたしの役に立たないよね。
とわかっていた部分がありました。
『資格を取った後』にどう生かすかが大切なのに、
『資格を取ること』に固執していたからです。
トロフィーみたいなものですかね。
難しいとされているほど燃えましたから。
(でも、最難関と呼ばれるようなものは狙いませんけど)
自分にとって、その時は資格を手に入れることで自信をつけられると思っていたし、
実際、自信がついた部分がある…と思います。
ただ、資格試験に合格する前に望んでいた、
『だれかに誇れる自分になったぞ!』
『だれかに対して勝っている自分になれたぞ!』
という派手派手しいものではなく、
『自分の努力が報われる喜び』とでもいうような。
じわ~っと地味にうれしい気持ちでした。
まあそれでも、いまのとこに就職するまでは、
(30代後半・未婚・非正規であることへの)
こみあげてくる不安を抑えるために、
ひたすら『(ごまかしの)努力』を続けていたのですが…。
たぶん、自分で作り上げた『世間の普通』になれないことに、
自分で勝手に劣等感を持っていたんです。
しかもそれに気づいたのは、もうその努力をしなくてもよい、
と思えるようになった最近のこと。
(わたしにとっては、転職がもっとも報われる努力だったようです)
いまは勉強はしてないです。
わりとずっとやってきたのに、だらけてしまってます。
これまでの資格試験にかけたすべてが全くの無駄だったとまでは思いませんが、
今にして思えば、ほかにもっとやれることがあったんじゃないか
と悔しく思うこともあります。
時間は有限だから。
ただ、それに気づけたのなら、『いま』やればいいのだとも思えます。
まだ意識していないコンプレックスはたくさんあると思いますが、
わたしは不安があるもの自信がないものに対して
お金をかける傾向にあるようなので、
これからも家計簿チェックをして、なににお金をかけているのか、
把握していきたいと思います。
つぶやいてます。