【自分なりの】失敗・挫折とは何か?
こんばんは!
三連休、天気はいまいちですが、ひきこもり生活が苦ではないわたしにとっては、
楽しいお休みです。
仕事は相変わらず忙しいです…。
お金的にはありがたいんですけどねぇ。
ほどほどが良いな。
さて、タイトルをご覧になっていただければ、うっすらわかるかと思いますが。
メンタルなお話になります。
そして、ここに述べることは完全にわたしの勝手な解釈ですので、
こういうこと考えてるやつがいるのか~くらいのスタンスで、
読んでいただけると幸いです。
お付き合いいただける方、どうぞよろしくお願いいたします。
わたしは失敗・挫折の多い人生を送っていると思います。
学歴・職歴といった外面的な部分でも、
なかなか他人とは比べ難い精神的な部分でも。
わたしはとても若いとき、
精神的な不調を抱え、精神科に通っていました。
その時は、そういう精神科に通っている、という事実があるだけで、
「わたしの人生おしまいだ」くらいに思いつめてました。(笑)
今は、そこまで思いつめないでしょうけど、 その当時は本当につらかったんです。
かかっていたお医者さんからは、
「あなたの症状はとても軽いから、気にしないのが一番なんだよ」
と言われていて、処方されていた精神安定剤も一番軽いものだから、
必要ないと思えば、すぐにやめて構わない、と言われてました。
ほとんど飲む必要がない薬のようで、実際、忘れてしまうこともあって、
徐々に必要がなくなり、やめてしまいました。
今は、薬なしでも暮らせています。
お医者さんからすれば、わたしの症状は軽微なもので、
実際、たいした症状ではなかったんだろうけど。
その当時のわたしは辛くてつらくて、
自分はこの世で一番不幸でかわいそうだと思ってました。(恥)
わたしはこの精神的な挫折を乗り越えたくて、心理を学びました。
そして、知ったのは、
挫折を認めなければ挫折を乗り越えることはできないという、シンプルなものです。
さらに言えば、『挫折』を作り出したのは自分自身、
その『挫折』した自分を拒絶しているのも自分自身。
『失敗・挫折』という幻想を作ったのは自分自身である、と言うこと。
それが単なる幻想であり、その幻想にしがみついていたというだけのこと。
これはある意味危険な考え方かもしれないですが、
つまるところ、自分が喉から手が出るほど欲しがっていた『成功・栄光』ですら、
取るに足らない幻想なのだと思い知りました。
そこまで考え至って、本当に心理的な迷子になってしまいました。
「わたしの生きる意味って何? 何のために生きているの?」
ある意味において、幻想の中で生きていたほうが気分が楽だったのでは?
と今でも思います。
外界が与えてくれる価値をそのまま自分のものとして、
その中で悩んだり苦しんだり喜んだり。
わたしはそれまではその中で必死に努力をして、そのことに満足していたのです。
ひとと比べて一喜一憂するというのは、
実はすごく楽しく、人を奮起させるものではないかとすら思います。
簡単に目標が見つけられるし、努力はわりと実るものです。
ですが、その喜びも苦しみも単なるひとり芝居だった。
この空っぽな自分に何があるんだろう?
わたしは何がしたいんだろう?
実は、この問いに、いまだ答えを出せていません。
いえ、答えというか、何というか。
気づきたくなかったのは、「わたしが生きることに意味はない」と言うことでしょう。
わたしは心のどこかで、
「わたしが生きることには意味がある」と思いたがっているのです。
思いたがっているということは、実際にはそう思っていないということ。
「わたしはなにをしたいのか?」とは、実は、「したいことなどない」
あるいは、「しなければならないことなどない」
ということではないか?
本当は、しなければならないことなんて決まっていないけど、
それではあんまりだから、とりあえずの目標を繰り出して、生きている。
貯金も、仕事も、趣味も、たぶん、生きるためのヒマつぶし。
意味がなくても、わたしは生きていたいから。生きることが喜びだから。
生きて味わう喜び怒り哀しみ楽しみだけが、「わたし」をかたどってくれるから。
さて、わたしにとっての『失敗・挫折』とはなにか?
その答えは、単なる思い込み、幻想でした。
『失敗・挫折』と捉えると言うことは、その当時の自分の価値観のなかで
けっこう大切なものだったのでしょう。
そしてひょっとすると、若かったからこその感覚かもしれません。
40年近く生きた今だからこそ、
「死ぬこと以外は失敗・挫折じゃない」
という境地に達したのかもしれません。
だって、わりと人生ってどうにかなるもんだわ~って思うもの。
自分がどうにかできなくても、誰かが助けてくれたりね。
そう、「自分で何もかもできなければ!」という思い込みが
『失敗・挫折』の中核にあった気がします。
無慈悲なことにわたしの人生には意味なんてないようですが、
慈悲深いことに世の中は調和に満ちていて、どうにかなっているようです。
まあ、人生の意味を探すのではなく、
「そのときにやってみたいこと」を積み重ねてみようと思ってます。
それで失敗・挫折したら?
いや~な気分を存分に味わってから、
次へ行きます。人生は続くから。