【自分なりの】お金との付き合い方と学び方②
こんばんは!
涼しくなってきて、なんか、やっと元気が出てきました。
暑いうちはなにもする気にならず、
というか、暑さを言い訳にひたすらだらだらしてました。
それはそれで楽しい。なんにもならない時間を過ごし、自己嫌悪までが様式美。
さて、書いてて(やっと)気づいたことがあります。
この記事は節約とか資産を増やすためのテクニックとは無縁で、
そういうものをお求めであれば、
まったくお役に立てないということに。
まあ、そういう有益なものは巷にあふれているし、
わたしが己で考え出した斬新な節約術などは今のところないので、
単なる長文にお付き合いいただける方、よろしくお願いいたします<m(__)m>
さて、我が家は、いわゆる「あればあるだけ使っちゃう家庭」
でした。
しかも、「無意識のうちに」です。
意識していないから、「お金、なくなっちゃった!」で、
それ以上考えられないのです。
というか、なににいくら使っているのか、知らないし、知ろうともしてなかったな。
たぶん、いまだにそういうものを記録するとかしてないだろうな…。
そういう家庭に育ち、わたしもお金の知識は皆無でした。
お給料も安かった。そのため、「とにかくひたすら我慢する」という方法で、
数百万円を貯めて、いろいろありまして、実家を出てひとり暮らしを始めました。
わたしは実家を出てからも「とにかくひたすら我慢する」を続けてました。
お金が貯まるのはほんとうにうれしかったし、自信にもつながった。
でも、喜びや楽しみ、そういうものはあまりなかったかな。
お祭りの出店でたこ焼きを買うことすら悪だった。(笑)
(だって、スーパーでなら300円で買えるからさぁ…)
後悔しているのか? といえば、う~ん、悩むけれど、後悔ではない。
そういう喜びを押し殺した生活をしたからこそ、
なにが自分にとって本当にやりたいこと、してみたいことなのか、
そのことに気づける指針?を持てたかな~と思います。
若いうちに経験できてよかった。
思うのは、子ども時代には、
恥ずかしながら、欲しいものはほとんど買い与えられて、
(なにしろ、手持ちの現金とかクレジットカードとかを駆使して、
後先考えずにお買い物してくれるからなぁ…)
いまはほんとに「頼むからお金を貯めてください!」と言いたいが。
「ほしいな~」と何気なく思ったものって、
実際はそんなに欲しくもなかったりするのに気づくことができました。
何かが欲しくてほしくて仕方ない、という気持ちにそんなに襲われないのは、
(たまにはあります。主に本とかCDとか楽器関係とか)
あの両親に育てられたからなんだろうなと思うとなんかムカつくが…。
お金の劣等生としか言えない両親と同じで、
たぶんわたしもお金の劣等生なんでしょうね…。
お金とのお付き合いの仕方、実はまだよくわかってない。
認めたくないけど!
まあ、ひとり暮らしを始めてからはとにかくひたすら我慢して、
貯金額を増やすことのみを喜びとしていたのですが、
転機が訪れます。
実家でお金が必要になり、当然、貯金なんてものはなく、
おずおずとわたしに連絡してきました。
けっこうな大金でしたが、わたしの貯金で余裕で賄える額(ドヤ顔)
すぐには返答せず、アパートで考えました。
まず感じたのは怒り・憎しみでしたね。
自業自得! ざまぁみろ!
って感じ。
すごく罵った。ノートの中でだけど。
わたしのお金をアテにして、わたしの大切なお金を奪おうとしている!
などなど…。
そして、当たり前のように頭の中に響くのが、
お金が無くなってしまう!
という恐怖。
さすがに一度でそれだけの大金を使ったことはなかったので、
かなり動揺してました。
そして、気づきたくなかったことにも気づきました。
「ざまぁ」と思ったとき。
自分が「ひたすら我慢」していたのは、この時のためだったと。
そう、わたしはこうなることを渇望してたのです。
お金を失う恐怖を上回る快感。
両親がお金に困ること。わたしに頼らざるを得なくなること。
両親がわたしよりも無能であり、わたしにちからがあることを実感するために。
わたしが必要とされていることを証明するために。
わたしは復讐のためにお金を欲したのです。
使い道なんて、思い浮かびもしない。老後とか、将来とかおためごかししてたけど。
(あ、今は考えてますよ、たぶん)
復讐心・怒りはすさまじいエネルギーを与えてくれます。
何年にもわたり、わたしが自分自身に対して小さな喜びも認めずとも、
低賃金で、ひとり暮らしで、それでも健気に貯めてきたお金を、
両親に奪われる『かわいそうな自分』の境遇に酔い痴れる、
この人生最高のときまで耐えられたんですから。
どんだけ両親に絡みたいんだっての。
それでどうなったかと言うと、
わたしは両親にお金を渡し、その後は、あんまりキツキツな生活をしなくなりました。
だって、復讐を続ける気がしなかったから。
「お金、自分のために使ってもいいな」と、思えるようになったからです。
そう、特別なことは必要なく、
自分が変わりたいと思えば、その瞬間から変われると思います。
良きにつけ悪しきにつけ。
自分の目的が復讐だったことを知ったときに、
無意味だ、むなしい、こんなことがしたかったのかよ、と、
自分自身に絶望しました。
絶望した瞬間に、わたしは自分の復讐心を認めたのです。
健気な子どもじゃない。かわいそうな人間なんかじゃなかった。
幸せになりたければ、いつでも自分で手を伸ばすことができた。
でも、それをしなかった。
怖くてできなかっただけなのに、他人のせいしたかった。
他人からの憐み、関心が欲しかった。
それを知れれば十分で、
うん、めちゃくちゃバカバカしいな。
やってることの馬鹿ばかしさに気づけば、もう続けられませんからね。
とはいえ、幸せになるために何かすることが怖いとか、失敗したらどうしようとか、
そういうことを思ってはいけないのではなく、
そういう風に怖がって、失敗を恐れていることも、
大切な自分の一部である、と認めていくことが大切なんだと思います。
もちろん、あのすさまじい復讐心もわたしの大切な一部です。
臥薪嘗胆? 目的のためなら苦しみすら耐えて喜びに変える、というのは、
とんでもない武器なのでは?(笑)
まー、明らかに自分が大ダメージ喰らうのが前提の攻撃なので、
二度と復讐なんてしたくないけど。
あ、ちなみに出店でお買い物ができるようになりましたよ!
小さな喜び。
でも…、
やっぱりたこ焼きはスーパーで買う。
(わたしは単なるケチだったようです)
つぶやいてます。