【自分なりの】お金との付き合い方と学び方①
こんばんは!
ようやっとツイッターとの連携ができました!
いやあ、ちゃんと調べれば親切に教えてくれるんだね。
即行動に移さない、自分のぐずぐずさが憎い。
さて、お盆はフリーホラーゲームに夢中になり、
新たに素敵な怪談朗読されている方を発見し、堪能し、
お風呂に入って髪を洗っているときに怖い場面を思い出しては、
びくびくするという、自業自得の夏が終わりかけております。
40手前なのに、やってることは、子どものころから変わらないなって感じ。
三つ子の魂百までとはうまく言ったものです。
さてさて、強引にタイトルに戻りますが、
お金との付き合い方を学ぶ一番最初の場所といえば、
わたしの場合は『家庭』でした。
サラリーマンの父がお金を稼ぎ、
専業主婦の母が家計をあずかっている?感じでした。
?がついてしまうのは、
母は計画的にお金を使うとか、貯金するとか
そういうことはしていなかったからです。
まあ、母だけが悪いわけではなく、
父も、自分の稼ぎだからと、好きなように使ってました。
それでも、子どもたちが大きくなって、
いわゆる『学費』がかかってくるまでは、
なんとかなっていたようです。
(うちの両親はクレジットカード・ローンも収入と捉えていたふしがあるので、
なんとかなっていたというのも疑問だが…)
ま、そんな家計だったのであれよあれよと困窮したのです。
はたから見れば当然の帰結なのですが、当事者には不思議でならなかったようでした。
そんな家庭で育ったわたしの胸に深く刻まれた教訓?が、
お金って、消えるもの
は? と思った方は正常です(笑)
だって、わたし子どものころから繰り返し聞かされていたんですよ。
「お金は消える」「お金はなくなる」って。
それってどんなホラー?
ま、当然ですが、ある日突然消え失せるとかではなく、
たんに、いろいろ必要で使っているうちに手元には残らない、という意味です。
ですが、幼かったわたしに対しての説明をかなり省略しているため、
とても簡潔に
「お金ってなくなるものなのよ (∀`*ゞ)テヘッ」
と教えてくれてました。(端折りすぎ)
わたしは「でもまあなんとかなるよ」と言う両親とは違い、
悲観的ともいえる性格でしたので、
「お金って消えちゃうのか…」と不安で仕方なかったです。
そのため、奨学金も
両親としては「借りられるんならラッキー!」(のちに続く返済のことは考慮に無い)
わたしは「お金稼いでも消えちゃうんだし、借金なんかしたら人生終わりだ…」
という、とらえかたの違い。どっちも極端。
今なら、投資(大学進学)にかかる費用と、
リターン(のちの稼ぎ)を考慮に入れる視点も持てそうですが…
まあ、ぶっちゃけ高校生の時点で、
これからの人生をどう生きていくかなんて、考えたこともなかったですよ。
どんな技能が世間から必要とされているか、
正直いまだにちゃんとわかってはいないなぁ。
たとえ必要とされている技能が分かったとしても、
その技能を習得できるかもわからないし。
わたしの場合は、就職先いかんで人生変わるという、
ギャンブル要素強めの生き方なので。
うん、たぶん、そのときの気分と雰囲気で決めそう。
確固たる根拠なき人生を生きております。
そんな「お金は消える・なくなる」という思い込みをもったまま働き始め、
ある日、給与受取口座の通帳をみていて気づきました。
あれ、お金消えてなくね?
口座残高100万円を超えたあたりでしょうか。やっと気づきました。
ええ、使わなければ、消えない。
そもそも、消えるという表現がおかしいことに。
しかし、心の奥深くまで刻まれた思い込みは強く、
実際にお金に困窮した期間もあったことから、
「お金が消える」=恐怖!
「お金を使う」=「お金が消える」=恐怖!
「お金を使う」=恐怖!
へと進化を遂げました。あらあら悪化してますね。
そういうわけで、どんなにお金を貯めても自分の好きに使うことに恐怖があり、
最近まで脱毛とかホワイトニングとか、やりたいな~と思っていても、
怖くて実行に移せなかったのです。
ただ、資格や転職のために使うことには、ほとんど糸目をつけなかったのは、
『親や世間が許してくれそうな出費』だったからかな。
あ、誤解を招く表現になってしまいましたが、
これは実際に親や世間が許す許さないではなく、
あくまでも『わたしの心の内の親や世間が』許すか許さないか、なのです。
いわゆるスーパーエゴ。超自我と呼ばれる部分だろうと解釈しています。
わたしはフロイト先生の心の構造モデルが好きで、
いまでは古いのかもしれないけど、
すごく理解しやすいので、自分の心理を考えるときに使っています。
そう、心理を学んで思ったことは、
これまで何度も書いたことを覆すようで心苦しいですが、
『どんな教訓・思い込みであれ、
己の胸に刻んできたのはまぎれもなく自分自身である』ということです。
「お金は消える」という発言をきいて、わたしは「お金は消えちゃう、怖い」
と、自分で勝手に判断したのです。
実際、わたしと同じ親に育てられたきょうだいは、
そんなこと気にも留めてなかったですし。聞いた記憶すらないかも(笑)
こう書いてしまうと身もふたもないですが、
わたしにとって、もしも今が不本意な現状であるとしても、
それを望んだのはほかならぬ自分自身である、ということです。
かつてはいろいろと思うままでないことを
両親や周りの人たち、世間のせいと考えて恨みましたが。
結局は己の人生の唯一の主役は自分自身であり、
自分から逃れることはできません。絶望ですね。
ですが、同時に希望でもあります。
絶望と希望を繰り返して、『自分』を創る、
あるいは自分自身への理解を深め、自分を知っていくことで、
わたしはお金との付き合い方(に限らないかな?)を変えようとしてきました。
これが正解! と言うものはないと思いますし、
まだまだわたしの人生も途上ですし、
これからいかようにも変わっていくと思いますが、とりあえず、
思うことを書きます。
で、前置きが長くなったので、続きます。
つぶやいてます。
http://twitter.com/konohanasakura4