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目標を探すのが目標。そんな日々。

【自分なりの】怒りとの付き合い方②

こんばんは!

 

月曜日は疲れますね…。

でも、職場の人がお土産のお菓子をふるまってくれたりして、

月曜日には幸せもあります(⌒∇⌒)

 

わたしなりの怒りとのお付き合いの仕方の②です。

言うまでもないですが、これは単にわたしがそうだというだけの雑記です。

こういう考え方の人間もいるよ、という自己満足です。

 

前の記事に書いたのですが、

わたしは現在は

『怒り』を否定せず、『怒ることを自分に許して』います。

 

ですが、メンタルガタガタだった20代前半ごろまでは、

自分の中の『怒り』を認めず、『自分が何に対しても怒ることを禁止』していました。

わたしは怒れない人間だったのです。

 

そして、『何に対しても怒らない自分』を

『やさしい・穏やかな人間』であると自画自賛してました(恥)。

(いわゆる黒歴史だわぁ…)

 

わたしにとって誰かを怒るというのは、とんでもない恐怖でした。

その恐怖を感じるくらいなら、そもそも、『私には怒りなんて感情はない』と、

自分にも周りにも嘘をついたほうがラクだったのです。

 

でも、ラクなことって長続きしないんですね。メンタルがおかしくなりました。

何があっても他人を怒らないという自分ルールのせいで、

他人を怒る代わりに自分に怒りを向けるということをしていたのです。

 

他人に『怒り』の感情を抱くと、「いやいやわたしのほうが悪いから」と

その『怒り』を自分に向けました。

 

だけど不思議なことに、自分が本当に悪いときには、

 

「わたしは悪くなんてない!」

 

と、ものすごく反発心が沸き起こりました。

「わたしはいつも我慢しているから、悪くなんてない!」と、

まるで理屈の通らないことを本気で考えてました。

 

その我慢というのは、『怒らない』ということなんですが、

自分で勝手にやってるくせに、「やってあげている」気分なんです。

 

いまでは考えられないですが…。変な思考回路。

 

 わたしが怒ることができなかった理由は、

家庭・学校生活での自分の立ち位置を守るため、でした。

 

わたしが怒ったりしたら、みんな許してくれない。

わたしが怒ったりしたら、みんなから嫌われて見捨てられる。

 

そういう恐怖があったのです。

今はこうして言語化できていますが、その当時は、

ただもう怖い。としか考えられず。

 

自分が怒るなんて、とうてい許せることではなかったです。

 

そんな不自然なことを積み重ねていたので、

ものすごく生きづらくて、「他人はみんな敵だ!」くらいに

追い詰められてました。

 

この苦しみをどうにかできるなら、お金がいくらかかってもいい!

救われるというのなら、宗教にだってなんにだって縋りたい! と思うくらい。

 

ですが、あるとき、また自分の中の『怒り』を否定して、

いつもどおり自分を責めていたとき、急に、

 

猛烈な怒りに襲われました。

 

もうごまかせないくらいの怒りで、 嫌われちゃうかもなんて恐怖は鳴りを潜めて。

 

 「わたしは悪くなんてない!」

 

思い浮かんだのは その一言だけ。言い訳も一切なく、「わたしは悪くない」と。

そしてそれまでにないくらい大泣きしました。

自分は悪くなんてなかったのに、どうしてこんなバカげたことをしてきたんだと。

号泣って、こういうことか~と頭の片隅で考えるくらい。

 

泣きながら感じていたのは、悔しいとか苦しいとかむなしいとか。

そして、一番最後にはうれしい、という気持ちが残りました。

 

やっと『怒り』を受け入れられて、自分の一部を取り戻せた感じ?

それからは、自分の感情をよくよく吟味するためにノートを付けたりしました。

自動的に自分を責める癖がついていたので。

今はノートをつけなくても、無駄に自分を責めることはなくなりました。

書いたほうがもっと整理できるとは思うけど。

 

 

後々、とある本でとても興味深い記述を目にしました。

 

「あなたが怒りを感じられるということは、

 あなたはたしかに愛されていたという証拠だ」

 

というような内容です。うろ覚えですが。

 

かつて(たぶん幼少期)愛情をもって接してもらえたから、

「あなたは大切なひと」「あなたには価値がある」 という想いを受け取れたから、

「わたしは大切な人間」「わたしには価値がある」と無条件に信じることができる。

その、「大切な自分」を傷つけることを許さない思いが

『怒り』として表れているのだと。

 

このことはすんなりと信じられました。

自分自身の努力とは関係なく、

ただ、昔に関わったたくさんの人たちの愛情のおかげで、自分を大切に思える、

たとえその人が亡くなっていたとしても、

今も変わらず、わたしを支えてくれているのだ、と。

 

「他人はみんな敵だ!」とか思ってたくせにね。 

 

 『怒り』を受け入れられたことで、

わたしはお金をどぶに捨てることもなく、

宗教にハマることもなかったのです。いや~、危なかったな~。

 

『怒り』とはこれからもずっとうまく付き合っていければなぁと思っています。

 

つぶやいてます。

http://twitter.com/konohanasakura4