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目標を探すのが目標。そんな日々。

【自分なりの】怒りとの付き合い方①

こんばんは!

 

先週は4日間の勤務でしたけど、なんだか疲れた~。

明日は月曜日か~、お休みってあっという間…。

 

今回はメンタルな話題です。五月ですしね!

 

 

わたしは普段、対外的にはあまり怒った様子を見せません。

まあ、いきなり殴りかかられたらさすがに怒るとは思いますが。

そのおかげか、周りからの評価は

概ね『やさしい・穏やかな人』のようです。

 

でも、周りの人に対して『怒り』を表出していないだけで、

実際には『怒り』を普通に感じています。(普通とは何かを聞かれると困るけど)

 

わたしの心の中の合言葉は、

「この世は理不尽」「内心の自由は絶対!」です。

 

 わたしは感じた『怒り』を否定せず、『怒ることを自分に許して』います。

 

そして怒って、そのあとで自問自答します。

わたしはこの『怒り』を使って、どんな行動を選択しようか? と。

 

『怒り』の感情は、とても強い力、エネルギーです。

もちろん、その『怒り』のままに怒るという選択肢もあります。

 

でも、ある時から、

『感情のままに怒り散らす』あるいは

『怒りなんて感じていませんよ~という見て見ぬフリ』 

 だけではなく、

『この怒りの感情は自分のどこからあらわれたのか?』

『この怒りの感情を自分のために使うことはできないか?』

 という視点を持つようになりました。

 

それは、とある本のなかでこんな風に書かれていたからです。

 

「野生動物の仔を抱えた母は、未知のモノや危機的状況に出くわし

 恐怖・不安を感じると、それを瞬時に怒りに変えて戦闘態勢にはいる」

 

つまり、怒りのトリガーは『恐怖・不安』ということです。

子連れの熊に近づいてはならないのは、

即座に戦う決意をし、仔を守るために問答無用で襲い掛かかってくるからです。

それが生き残りのために有効な戦略だからです。

 

天敵を目前にして「敵の目的は何か?」なんて悠長に考えてられないですからね。

即座に対応することで生存率を上げているんでしょう。

 

さて、野生動物の例から、そのまま人間の『怒り』も全く同じである、

とするのは早計とは思いますが、

怒りのトリガーが『恐怖・不安』というのはあながちでたらめではないかなぁと。

 

野生動物であれば、危機的状況は即、命に関わります。

だからこそ、『怒り』で瞬発的に行動力を高めるのです。

(怒るとドキドキして心拍数上がるらしい。即行動に移れるように)

 

でも、人間が怒りを感じたときというのは、少なくとも現代日本では、

即、命の危機というのは少ないのではないかと。

(殴られそうになる、とか?)

 

『恐怖・不安』を感じて怒っても、実はその対応ではあまり意味がない?

 

そんな風に思えて、自分が怒りを感じたとき、

『これはどんな恐怖・不安、感情から生まれたのか?』

という風に自己分析するようになりました。

 

その時には、『怒り』をありのまま感じて、

どんな汚い醜い言葉でも、思い浮かんだことを書き留めました。

他人に見せるわけではないので、誰のことをどう書こうが自由です。

 

うちにはそういう秘密ノートが何冊かあります(笑)

ぜったいに他人には見せられません!

いろいろ書いちゃって、「ごめんね!」とはおもうけど、

 

「この世は理不尽」「内心の自由は絶対!」

だからね。仕方ないね。自分の心にとどめている限りは無罪よ。

 

ひとからの評価(やさしい・穏やかとか)を聞くたび、

 

ちげーから と思ってます。

 

まあ、そういうものを書いていると、結局、相手のことなんてどうでもよくて、

いい意味でも悪い意味でも、

 

己の人生の主人公は自分であると痛感します。

 

わたしはそういう風に『怒り』のおかげで、

自分の人生というものを考え始めたのです。

 

たぶん続きます。

 

 

つぶやいてます。

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