晴れても曇っても雨降っても

目標を探すのが目標。そんな日々。

【日記】劣等感・劣等コンプレックス・優越コンプレックス

こんばんは!

 

今日はちょっと悩みましたが、『7つの習慣』のほうではなく、アドラー先生のお話をしようと思います。

 

つい最近、ああ、これが『課題の分離』か~と思う出来事があって、なんだか、自分がすごく悩んでいたことって、単なる思い込みなんだな、と思ったので。

 

まず、劣等感と言うのは、すべての人が抱くものです。アドラー先生のお話では、まったく健全なものとされています。

人間は無力な状態で生まれ、この無力な状態から脱したいと望むもの。これを『優越性の追求』といいます。向上したいと望み、理想の状態に近づこうとします。

この『優越性の追求』と対をなすのが、『劣等感』です。人間は向上したいと望み、目標に向かって前進しますが、理想の状態になれていないことに、まるで劣っているかのように思い、『劣等感』を抱きます。

たとえば、優れた料理人の志が高ければ高いほど、「自分はまだまだだ」という、ある種の劣等感を持ちます。

「『優越性の追求』も『劣等感』も病気ではなく、健康で正常な努力と成長への刺激」

と語られています。

劣等感をバネにして頑張る、ということですね。

 

『劣等コンプレックス』が、よく聞くコンプレックスでしょう。

『劣等コンプレックス』とは、劣等感を言い訳にしている状態です。

「太っていること」「お金がないこと」「学歴が低いこと」「美人ではないこと」

 こういう劣等感をもっていたとしても、それをバネにして奮起する人もいれば、それを理由に、「だからわたしは成功できない」と決めつける人もいます。

「AだからBできない」と考えること、アドラー先生はこれを『見かけの因果律』と呼びました。人生の嘘ですね。

「AだからBできない」と考えると、劣等感を払しょくするための努力も必要ないし、いままでどおりでいられます。遊ぶ時間を削らなくて済みます。ラクです。この気持ちはよくわかります。

そして、「Aでさえなければ、わたしはできる。わたしは有能で価値があるんだ」と思えるという、おまけまでついてきます。

健全な前向きの努力をしていないので当然ですが、劣等感は消えないので、その欠乏を埋め合わせるために、なにひとつ努力しない状態であっても、「ほんとうのわたしはすごい」という精神状態に持っていくことが可能なのです。

これが、劣等コンプレックス。努力はしたくないし勇気も持てないが、自分を傷つけないために納得させている状態ですね。

 

で、さらに状態が進むと、『優越コンプレックス』へ突入します。

 

これは、努力はしたくない、でも、『劣等コンプレックス』では満足できない、「できない自分」認められない、そんなときに起こります。

「あたかも自分が優れているかのように振る舞い、偽りの優越感に浸る」のです。

たとえば、権力者との仲の良さをアピールするとか、経歴詐称するとか、過度なブランド信仰とかの「権威づけ」です。これは、完全に他者の価値観の中に生きる行為ですね。

あとは自慢。現在でも過去でも、自分の手柄をことさら言葉にして自慢するのなら、それは劣等感の裏返しだそうです。

まあ確かに、わたしの周りでも、本当にすごいな、と思う人は自慢とかしないですね。謙虚と言うか、つねに前を向いて次のことを考えている感じ。自慢してる暇なんてないんじゃないかな。

もしも本当の自信を持っていれば、自慢する必要なんてない。劣等感が強いからこそ、自らがいかに優れているかを示さなければならない。これが優越コンプレックスです。

 

優越コンプレックスも劣等コンプレックスも、なんか、わかるですよねぇ。

努力するのはおっくうだし、結果が出るとも限らないし。なら、こういうものに逃げちゃおうって気持ち。

 

 このふたつに続く、『不幸自慢』なんて、まさしくわたしがやってきたことなんだよなぁ。

 

ま、それは、時間が遅くなってしまったので、また明日!