晴れても曇っても雨降っても

目標を探すのが目標。そんな日々。

【日記】第一の習慣:主体的である②

こんばんは!

 

今日はちょこっと早く帰れたから、いろいろ準備を済ませてパソコンに向き合えてます。うれしい!

 

さて、第一の習慣:主体的である②と銘打ちましたが…。

 

今日、こんなことを経験したよ! をお伝えしたい。

(本当は昨日の続きで、『関心の輪』『影響の輪』とか書こうと思っていたのですが、鉄は熱いうちに打て! といいますので)

 

〇お客様対応中に、ATフィールドを感じた。

(ATフィールドわかるかな💦)

 

お客さまが、ちょっと「う~ん…」な感じでした。詳細は省きますが、「う~ん…」な感じです。

もちろん、わたしの表面上の態度は変わりません。むしろ丁寧に接するように心がけています。でも、なんか明らかに自分の心が硬直し、心からの対応じゃないな、とわかりました。そして、「これが、相手の態度で自分の内面をかき乱される感じか!」と。

確かに、自分じゃない感じ。「自分」がなんなのか、よくわかんないけど、とにかく、「これはこうありたいと思うわたしではない」ということだけは、はっきりとわかりました。

 

お客様対応中ではありましたが、ちょっとしたスキに、「わたしにこの気持ちをどうにかできるのか?」と自分に問いかけてみたところ。

「なんか出来そう!」と思えました。口では毎日毎日お伝えしている内容をしゃべりながら、なんか、愉快になってきました。なんだかね、「この人(お客様)がどんな態度をとったところで、わたしは自分でどうするのかを決められるんだ!」って思ったら、とても安心しました。 

 

どんなお客さまにも丁寧に接しなければ、という気持ちは前々から持っていましたが、それが表面上のモノであったと気づきました。わたしが「嫌だな~」と思った相手には、「いやだいやだ」と思いながら、丁寧に接していたんだと。それでいて、「嫌なカオしてない自分はすごい!」と思ってました。頑張ってたんだね。

 

そう、たぶんこの、「いやいやながらも頑張っている」が好きだったんだ。頑張って疲れることもなんか、「やりきったぜ☆」と、爽快に感じてたのかも…。

 

でも今日、あの一瞬にわたしの心の中に相手はなく、ただ、わたしはどうしたいかを決めることができたとき、自分のちから? みたいなものを感じられました。

 

そしてその時脳裏に過ったのが…

 

 

 

 

これってまるで、ATフィールドじゃん! 

 

 

※ATフィールドとは、アブソリュート・テラー・フィールド(絶対不可侵領域)というとあるアニメのすっげえ強いバリアのこと。

 

物理には全く影響を及ぼしませんが、精神面にはけっこう役立つのでは?

まあ、わたしが展開できるのはとても限定的(元気で落ち着いていられる状態)で、短時間(せいぜい2分とか)、相手にもよる(パワハラモラハラには勝てなさそう)と思います。

『7つの習慣』では、この「主体的である」のエピソードに、ヴィクトール・フランクルという人物が出てきます。

この方は、オーストリア精神科医・心理学者だったそうですが、ユダヤ人であったため、第二次世界大戦のとき、ナチスドイツの強制収容所に送られ、筆舌に尽くしがたい体験をしました。

 

いつ死ぬともしれない日々、拷問、肉体的には完全に自由をはく奪されました。

が、そんな状況に居ても、何が起こっても、それが自分に与える影響を自分自身の中で選択することができる、「人間の最後の自由」とみずから名付ける自由を発見したそうです。(マジかよ)

いうなれば、この人は心のATフィールドを常時展開・全属性・全精神攻撃無効にできるということです。(たぶん、まったく違うが)

 

まあ、そういうことで、まだまだ限定的だし、力も弱いわたしの主体性ですが、まずは意識していくことで、鍛えていこうと思います。

 

ではまた明日。おやすみなさい。

【日記】第一の習慣:主体的である

こんばんは!

 

なんとか三日坊主をまぬかれた、かな?

とにかくやれるだけやってみよー。

 

さて、今日は『7つの習慣』の第一番目、『主体的である』について書きます。

これは、『7つの習慣』の基礎的な部分です。土台とでも言いますか。

主体的である、を説明するために、その対義語とともに説明します。

 

『反応的』…自分には責任がない。自分の反応を選ぶことはできない。

『主体的』…自分に責任がある。何が起ころうとも、それが自分に与える影響を自分自身で選択することができる。

 

つまり、みずから動くのか、それとも、動かされるのか、という違いです。

同じ行動をしたとしても、その成長度合いには大きな開きが生じてしまうのだそうです。

 

もしも、『問題は自分にはなく外(環境や状況)にある』とし、それを変える力を自分が持っていないとするのなら、その人は外(環境や状況)に支配されている、と言うことになります。自分の意志では、問題を解決することはできないのです。

 

そしてもしも、『問題は外(環境や状況)にあるのではなく、自分の中にある』とするのなら、その人は自分の中を変えることによって、問題を解決でき、外(環境や状況)に支配されません。外に力を与えず、自分の中に力を養う態度と言えるでしょう。

 

『問題は自分にはない』と考えるほうがラクですけど、どんどん外からの支配を強めて、自分の力が弱くなってしまいます。

 

わたしはこれを実践中ですが、まあ、まだ「あ、無責任ってこういうことか~」と自分の行動を見ている程度で、まだまだ「自分の力」を感じれてはいません。だから、あんまりうまく説明できてないな~。

 

これは、絶対的な自由だと思うんですよ。どこにいても、誰といても、『自分』を見失わずにいられる力だと思います。

 

『主体的である』にはほかにもいろいろおもしろいたとえなんかがあるので、また紹介します!

 

おやすみなさい。

 

【日記】新たな決意と習慣の力

 こんばんは!

 

寒い! もう、この一言に尽きます。

春よ来い~!

 

さて、冗談はさておき。アクセス0で泣いていたわたしですが、ハッとしました。

 

これこそがアウトサイドインじゃないかと。

だれかが見てくれているかどうかで行動を変えてしまうのでは、到底自分自身の内面から始めているとは言えない!

 

よし! アクセス数を確認するのやめよう!

 

まあ、アクセス数を見てしまったら、なんか思わずにはいられないのがはっきりとわかりましたので。いきなり心は変えられないので、まずは行動を変えます。

 

そう、見なきゃいいのよ。

 

うん、だからひょっとするといまもアクセス0なのにもこりずに投稿し続けているのかもしれません。

まあ、いいのです。

 

インサイドアウトです。

わたしは目的をもってブログの更新をしていきます!

 

それは、日々思ったこと、考えたことを、自分なりにまとめて表現していく!

 

そうそれは、

 

ただの日記だ!

 

7つの習慣のなかに、学んだことを2日以内に人に教えるような気持ちで読んでほしいとあるのです。

自分の言葉で表現することで、理解を深める。読み方を変えていくことが目的なのですが、せっかく、ブログと言うすばらしいツールがあるので、ここでぶつぶつつぶやいていこうと決めました!

 

じっさい、誰かの目に触れる可能性があるのだし、やるからには頑張りたい。

出来れば毎日、ちょこっとでも書いていければなぁと思ってます。いや書きます。

 

というわけで、今日考えていたことなのですが。

まあ、7つの習慣を読んで、昨日書いた通り、『最優先事項を優先する』、つまり『大切なものを大切にする』ということですが、なかなか取り組みずらい第二領域の『緊急でないが重要なこと』を習慣化する、を意識してみたんです。

 

で、この間あった友人から言われたことを思い出したんです。

中学校からの友人なんですが、学生時代、わたしは激太で、その子はすらっとしてました。でも、いまではわたしは標準くらい、その子は昔と比べればちょっとふっくらしてきてたんです。(わたしよりは細いけどな!)

 

友「体型変わんないね~」

わたし「いや、昔よりずいぶんやせたんだよ!」(必死)

友「(笑)そうじゃなくて、やせてからまた太るとかしてないよね。すごいね~。わたしは仕事も外出も車だから、もう歩くとかできないよ。いまも車使ってないんでしょ?」

 

そう、わたしはド田舎車社会に生きながらも、車を所有しない異端児。てかケチ。

お金がもったいないからと買わずにいたので、移動は徒歩や自転車です。わたしにとっては当たり前のこと。でも、友人にとってはそうではない。

 

移動の仕方の違いだけが原因じゃないかもですが、今の体形を作ってくれたのかもしれない。

 

そして、友人からすごいね! といわれても、自分にとっては当たり前だから、「そんなたいしたことじゃないんだけどな~、誰にでもできるでしょ」と思っていたのです。

 

で、気づいたんですよ。

この前、お祝儀袋に名前やらなにやら書かなきゃいけなくて、職場のそういうの得意な人に頼んだんですが。まあ、さらさら~とすぐにマイ筆ペンでやってくれたんです。しかも上手。

すごい! を連発したのですが、その人は特に得意になった様子もなく「いや、たいしたことないよ。自分はまだまだだよ」と淡々としてました。

 

そう、たぶん、その人にとっては「普通のこと」なんですよね。

ふだん車に乗っていて、あまり歩かない人から見れば、ふだんから歩く習慣のあるひとは「すごい」。

ふだんから毛筆にさわりもせず、うまく書けない人から見れば、普段から筆を持つ習慣があり、さらさらと上手に書ける人は「すごい」。

 

わたしは、インサイドアウトとか、パラダイムシフトとか、知ったばかりだし、これから実践しようと思っているところですけども。いまは、「すごい」ことだと思っていても、いつか、それを当たり前のように捉えられる日が来るのかもしれないです。

 

それに、わたしが「すごいな~」と思うような人たちも、『自分にとって大切なことを大切に』してきたから今があり、そのことを特に他人に誇るでもなく、「もっとすごい人がいるよ。自分もまだまだやれるよ」という気持ちでいるのかも。

 

と、ちょっと習慣の力について考えてみました。

おやすみなさい。

 

【7つの習慣日記】第3の習慣・最優先事項を優先する

こんばんは!

 

じつは、昨日『7つの習慣』に関する記事を書いて投稿したのですが、

アクセス0!

 

( ;∀;)

 

泣いた。(うそです)

でも、それで気が付いたんです。

あ、これって、わたしの日記なんだから、『7つの習慣』を順番通りに書いていく必要もないんじゃないかと。

 

ちゃんと順番通りに取り組んで、そのことを書いていかなければ。

そんな気負いがあったみたいなんです。

 

でも、そこまで厳密にやるんじゃなくて、「書きたい!」と思うことを書いていけばいいんだ。という基本に立ち返れました。

 

そんなわけで、いきなり第3の習慣です。

『最優先事項を優先する』

 

これはすごく目から鱗な習慣でした。

これのために、いままで手帳と言えば百円ショップのもので十分! と思っていたわたしが、千円越えの手帳を購入しました。

 

なぜなら、これに取り組むことには、かなりの価値がある、と思えたからです。

それは、わたしがこれまで『最優先事項を優先する』ことができていなかったからです。

 

まあでも『最優先事項』ってなんだ? ですよね。

 

コヴィー博士の時間管理マトリックスと言うのがありまして、

ジョハリの窓みたいなやつなんですが、わたしは図の貼り付け方わかんないから、もし気になったら探してみて。

 

コヴィー博士は物事を、

 

第一領域:「緊急」かつ「重要」なこと

第二領域:「緊急でない」かつ「重要」なこと

第三領域:「緊急」かつ「重要でない」こと

第四領域:「緊急でない」かつ「重要でない」こと

 

このように分けると大切なものがみえてくる、としています。

 

第一領域は、締め切りのある仕事、クレーム処理など

第二領域は、運動、勉強、人間関係作り、内省など

第三領域は、電話対応、突然の会議など

第三領域は、暇つぶし、ネットサーフィン、待ち時間

 

といったところ。

 

赤字で強調しているのでわかると思いますが、

 

「緊急でない」かつ「重要」なこと

 

これが、人生において最も有益なことが含まれる事項である、と考えられています。

 

まあ、そうなんですよね、緊急で重要なことはやらなきゃいけないから取り組めるけど、「緊急でない」と、日常のなかに埋もれちゃって、結局、手を付けない。

 

わたしは楽器を習っていて、もちろん、上達したいとは思っているけど、「疲れた、時間がない、急ぐものじゃないし」とろくに練習しなくて、下手なまま…。

 

そこで、『7つの習慣』にまなぶ手帳術と言う本にあるのですが、

 

手帳・スケジュール帳をスケジュール管理・時間管理のために使うのではなく、

「進むべき正しい人生の方向を知るためのツール」

として活用していきたいのです。

 

 第二領域を意識的に手帳に書き込み、そのほかの領域(特に第四領域)を減らしていく。

そのためには、まず、ミッション・ステートメント制定し、一週間のうちに自分が負う役割に落とし込んでいくのです。

 

ミッション・ステートメントとは、第二の習慣『終わりを思い描くことから始める』にあるのですが、「どのような人間になりたいか(人格)、なにをしたいのか(貢献・功績)」についての自分自身への宣誓書。

 

まあまずやるのは、前の一週間を振り返り、第二領域の行動をどれだけ取れていたかを確認することですね。

 

わたし、ぜんぜんやってなかったんですよね~。

楽器の練習もろくにしてないし、勉強もしてなかったし、読書はしてたけど、人とも、意識して付き合ってなかった。理解しようとか、話を聴くとか、そういうことが全然できてなかった。

 

なので、この一週間の第二領域のスケジュールを制定し、来週、また振り返りたいと思います。

 

月:新聞を読む。後輩の相談に乗った。(これは、今日したこと)

火:新聞を読む。家で『7つの習慣』を読み進める。

水:新聞を読む。早く帰って楽器の練習。

木:新聞を読む。家で『7つの習慣』を読み進める。

金:新聞を読む。家で『7つの習慣』を読み進める。

土:習い事。両親との約束。祖母のお見舞い。

日:ゆっくり休む。歩いて買い物に行く。

 

う~ん、じみ! 

 

一応、自分自身のこと職場での役割プライベートでの役割

で色分け。

見事に自分自身のことばっかり。なんつうか、人間関係の希薄さが浮き彫りに。

まあ、こうやって視覚化すると、自分のバランスの悪さがわかっていいのかも。

 

運動も足りてないな~。

なんか勉強したくなってきたな~。

 

たぶん、こういう意識をもつことで、行動を変えていけるような気がする! 

 うん、たぶん…。

 がんばろっと。

【7つの習慣・0】インサイドアウト・パラダイムの力

こんにちは!

 

昨日はいろいろ買い物したので、かなりお金を使いました。

クレカと現金でのお買い物でしたが、やっぱり、現金よりクレカのほうがお金を使っている感が薄れます。家計簿に記入して、「あ、今日こんなに使ったんだっけ?」と思いましたから。(わたしはクレカ使用時に家計簿記入派)

ポイントとかキャッシュバックとか欲しいけど、わたしは現金使ってたほうがいいのかもなぁ。

 

まあでも、本格的な冬の前のお買い物って、なんかうきうきしますね。

冬が好きってわけじゃないんですけどね~。秋と春が好きです。

 

さて、『7つの習慣』という本の影響を受けて、ただ流されるままの人生を変えてみたい! と思う今日この頃です。

それと、『嫌われる勇気』で有名な、アドラー先生の考え方も取り入れていくつもりです。なんだか、ふたつはとても似通った部分があるなぁ、と思いましたので。

まあ、このブログに書くのは、わたしというフィルターを通してみた、わたしの感想、つぶやきなので、もしもご興味持たれたら、ふたつとも原作(?)を読むのをお勧めします。たぶん、図書館で借りられると思う。

 

わたしが本を読んで注目するのは、『今のわたし』が必要としているものになってしまうので、書かれていることをすべて漏らさず表現しきることはできませんから。

 

さて、けっこう長くなってしまったのですが、本題行ってみましょう。

お付き合いいただける方、どうぞよろしくお願いいたします。

 

『7つの習慣』を実践するにあたり、前提となる考え方あります。

それがインサイドアウト

意味は「内から外へ」。本からの引用になりますが、 「自分自身の内面から始める」と言うことです。

 

なんのこと? と思われるかもしれませんね。

まあ、わたしも完全に呑み込めているかというとまだかなり不安なのですが。

 

例えば、わたしは十代後半から二十代前半まで、思うままに生きられなかったこと、ひとから評価されるような人物になれなかった悔しさを、すべて、両親、職場環境、社会情勢、周囲の人々のせいにして生きていました。

 一番恨みを向けていたのは両親で、『正当な復讐』の名のもとに、自分を不幸にしながらも、ひたすらお金を貯めて、両親を凌ぐ、有能な人間であることを証明しようとしていました。

そして念願かなって両親が助けを求めてきたとき、「ざまぁ」と思い、自分の内面の一端に触れました。

 

『いつだって可哀そうな被害者』であったはずが、『復讐者』だったと気づかされたのです。

 

『被害者』も『復讐者』も、パラダイム、ものの見方です。

わたしは『被害者』である、というものの見方で世界を見ていました。

そのため、世のすべてがわたしを攻撃しているような解釈をすることになります。

 

『復讐者』は、「『被害者』として、これだけひどい目にあったんだから、仕返しをするのは当然だよね! わたしは悪くなんてない! わたしはむしろ良いことをしている!」という感じですかねぇ。 

 

つまり、自分が行う攻撃は『正当』で、誰かが傷つこうが、悲しもうが、自分には一切の責任はない、というものの見方です。

 

この自分の考え方に違和感を覚えました。 たぶん、その頃読み漁っていた本の中に、「自分の人生は自分自身の選択」と言うような内容のものがあったのかもしれません。

助かりました。

 

『被害者』として生きていたいか? 『復讐者』として生きていたいか?

 

「そんなのはイヤだ!」 

 (アンパンマンの歌って、偉大だと思うわ~)

 

という強い思いがありました。

本当は、自分の人生が思う通りではないからと言って、他人に怒りをぶつけてばかりでは、何にもならないこと、自分のためにはならないことが分かっていたんでしょうね。でも、自分を変えるのは大変だから、「だれかなんとかしてよ!」と泣きわめいていたんです。

 

でも、『被害者』も『復讐者』もやめるなら、『自分』として考え行動しなくてはいけません。『自分』には責任があります。

 

わたしはそれが嫌だったんですよ。

『被害者』、『復讐者』ってラクなんです。これは、『あなた』が変わるべき。というパラダイム、ものの見方ですから。『あなた』に責任がある、というパラダイムなんです。

わたしは『被害者』だから、あなたが、世間が、世界が変わるべき。

わたしが『復讐者』として誰かを傷つけたからって、それはもともとあなたが、世間が、世界が悪いから。だからわたしには責任はない。

 

まあ、この考え方って、基本的にはだれもが通るものです。

これは、赤ん坊のものの見方ですから。

幼いうちは、本当に無力なので、周囲に依存しなければ生きていけません。

 

依存状態の主語は、『あなた』になります。

あなたが理解してくれれば。あなたが愛してくれれば。あなたが優しくしてくれれば…。

わたしは幸せになれるのに。

 

依存状態でとどまる不幸は、他人の行動で一喜一憂することになることです。自分の感情を制することができないからです。

わたしの幸せを決定するのは、他人、世間、世界なのです。

依存はラクですが、なかなか幸せになれません。

どれだけ尽くされても、「もっともっと!」と要求し続けるからです。だから、たくさんのモノを持っていても、持っていなくても、満足せず、不満だらけになります。不満がたまると、他人に、世間に、世界に怒りをぶつけずにはいられなくなります。だって、自分が辛いのはみんなが悪いからなんだもんね。

 

次が自立。主語は『わたし』です。 

わたしはあなたを理解する。わたしはあなたを愛する。わたしはあなたを大切にする。わたしは 自分の感情に責任を持つ。

 

依存状態から考えると、とんでもない成長と言えるでしょう。別人です。

だいたいこの状態を大人と表現するのでしょうね。いろんな本にも、こういう行動、こういう態度が大人だ、という書かれ方をしていると思います。わたしも、そういうものを指針として頑張ろうとしてきました。 

 

だけどもたぶん、とても浅い部分での行動だったんでしょう。

不安になったり、不満になったり。だって、世の中には『こうすると良い』というものがたくさんあって、そのどれを選べばいいのか、わたしにはその選択の基準や方針といえるものが存在しなかったのです。 それに、ほかの人は依存状態でラクに生きているのが羨ましく、自分の努力が報われていないと思えていたのです。

 

そこで、『7つの習慣』に出会い、ひょっとして、これじゃないか? と思いました。

 

それは、『原則』に従う、という考え方です。

原則に従い、インサイドアウト、つまり、自分自身の内面から始めるということです。

 

わたしは、これまでは『良いとされるもの』を外から取り入れて(アウトサイドイン)いました。依存状態と同じです。その『良いとされるもの』に頼っていました。

でも、それでは真の自立とは言えなかったのかもしれません。

 

自分の内面に自分の指針を持ち、その指針に従って、行動を選択できるのです。

 

原則とは、一生不変のものではなく、例を挙げれば、誠実、公正、貢献、本質、美徳、などのようです。

 

わたしがいま、原則としたものは、幼いころの記憶がもとになっています。

 

五歳くらいのときですが、夜に家族でトランプで遊んでいる風景です。

両親は不仲だったし、きょうだいとはケンカが絶えなかったのですが、なぜか、そのときはみんな笑顔でいられました。仲間外れも、嫌みも、非難もなく、一緒に居られることの喜びがあった。ほんとうに楽しかった。

この幸福がずっと続けばいい、とその当時も、いまも思います。

 

胸が温かくなる記憶。

ですが、ちょっと前までは、両親を目の敵にしていたんですからね。

これがパラダイムパラダイムシフトの力です。

過去は変わりませんが、パラダイムを変えたのです。過去に対する解釈を変え、いうなれば、記憶の検索ワードを「憎むべきもの」から「愛するもの・幸せなもの」へと転換したのです。世界は変わりませんが、わたしが変わったのです。

 

 この原則をもとに、両親の子どもとして、きょうだいとして、友人として、職場の部下・後輩、あるいは先輩として、わたしの役割を果たし、わたしにできる最高のことをする。

それが真の自立につながっていくと信じ、行動すると決意する。

 

 思い浮かぶのは、まったく偉大なことでも何でもありません。

両親・きょうだいのことを思いやり連絡を取るとか、友人にひさびさにメールするとか遊びに誘うとか、職場ではみんなにあいさつするとか、笑顔で接するとか、ほんとうにささいなこと。だれもが簡単にできるものばかりです。

 

でも、その内面には明確な目的があります。あの幸福な気持ちをみんなで味わいたい。そのために自分にできることをしたい。 

 

これは、わたしの、わたしだけの動機です。

何か迷うことがあれば、この原則、この動機に立ち返る。

わたしの目的を達成するために、みずから考え、行動する。それを決めることが、わたしにはできるのです。

 

ただ、この気持ちをずっと持ち続けられるのか? という不安があります。

いま、「わたしはこうありたい!」と強く思えたとして、一年後、一か月後、一週間後、いえ、明日も、持ち続けられるか? いままでの習慣にすぐに戻ってしまうのではないか? 面倒になって、放り出してしまうんじゃないか。

 

『7つの習慣』は、原則の通りに生きる筋道、自立やその先の相互依存への橋渡しになってくれそうですが、実際、やるのはわたしなので。

 

なので、こうやって、だらだら文章を書きながら、『7つの習慣』を実践してみて思ったことなどをこれから書いていこうと思います。

そうすれば、まあ、「なにもしない」ことはないでしょう。

 

たぶん、まとまりなくてぐだぐだ長くなりそうなんですが…。

まだまだ理解できていないからね。

今回も長くなっちゃった…。

 

思いを書くって難しいですね。長いからと言ってたくさん伝えられるわけじゃないし。

 何か一つでも、わたしが学んだことをお伝えしていきたいと思います。

 

 

【7つの習慣】刃を研ぎたい!

こんばんは!

 

タイトルみてなんのこっちゃと思われたかもしれません。

最近読んだ本に影響を受けています。

影響受けやすいんです。

 

コヴィー博士という方が成功した人々の文献を調べ、その結果、本当に満足した人生を過ごすためには人格的な成長が必要である、という結論に至り、依存から自立へ、そして自立した人間同士が相互依存を実現することで素晴らしい結果をもたらす、そのための7つの習慣を紹介している本、の解説本を読みました。

(まだ、本物は読んでない)

 

うえの字面見ればバレバレだと思いますが、わたしはまだよくわかっていません。

こなれてくると自分の言葉として語れるようになるでしょうが、まだまだ何回か読んだだけ、これから実践していこうというところなので、ご了承ください。

 

7つの習慣の第7番目に、「刃を研ぐ」というのがありまして、それをもじりました。

まずは自立、「私的成功」を目指しますが、やっぱり、夢はでっかく(?)でしょう。

 

最近はずっとメンタル系のばっかり書いていましたが、さすがにネタも尽きてきました。まあ、このブログを書いた当初の目的は、自分のなかでくすぶっていた思いを書きなぐって、すっきりしたい、だったのかもしれません。

 

親への気持ちを書き綴って、けっこう満足していて、で、「あれ、もう書きたいことなくね?」となってました。

 

ちまちまとりとめないこと、お金のこととかだらだら書こうかな~と思っていたのですが、ちょうど良いタイミングで面白い本と出会えました。

 

まえに記事に書いたのですが、わたしは自分の人生に意味を見いだせていません。

わたしが子どものころから追い求めてきたものに意味はなかった、じゃあ、いったいどこへ行けばいい? そんな迷子状態なんです。

 

ただただ流されるのも人生かな、と思っていたのですが、面白そうなものを見つけた!

 

これまでは主に過去のことをつづってきました。

これからは、現在のことを書いていこうと思います。

なので、言を左右にしてあいまいに逃げたり、気分が変わったり、一貫性を保てない可能性がありますが、ご了承くださいね。

 

そんなわけで、ちょっとしたリニューアルです。

お付き合いいただける方、どうぞよろしくお願いいたします。

 

【自分なりの】転職してよかったこと

こんばんは!

 

もう今日は金曜日。

やっぱり三連休明けは早いなぁ。

10月も半ばを過ぎて、いやあ、あっという間だなぁ。

 

さて、今日は最近しみじみかみしめていることを書こうと思います。

夜中ですがね…。

 

 

転職してけっこう経つのですが、転職してよかったなと思う今日この頃です。

金銭面、雇用条件ももちろんですが、

近頃強く思うのは、「過度に良い人」を演じなくてすむようになったことです。

 

というか、「過度に良い人」でなければ自分は職場の人に受け入れられない、

という気持ちにならなくなったことです。

 

わたしは前の職場ではあまり周りの人とうまくいっておらず、

せめて、「役に立つ良い人」であらねば、と思い込んでいました。

 

ひょっとすると、「役に立つ良い人」であろうとするから、

周りの人たちとうまくいかなかったのかもしれませんが。

 

しかし、それが分かっていても

それまでやってきたこと(雑用とかをすすんでやってた)を

やめるのは勇気が必要で、結局、わたしは前職をやめるまで

「過度な良いひと」「役に立つ良い人」をやめられませんでした。

 

「良いこと」をしているのだからいいのでは?

と思われるかもしれませんが、

わたしの場合、その『善行』を認められていないと思うと、

周りの人をひそかに恨むので

やっぱりうまくいかないし、自分でやってるくせに

「なんで自分ばっかり(# ゚Д゚)」

とイライラもするので、良いことなしなのです。

 

で、転職して仕事内容がガラッと変わり、

単独で仕事をすることが多く、雑用は順番に行うというルールもあって、

 

すっごく快適☆

 

まあ、それでも最初のころは「あれもこれも下っ端のわたしがやらなきゃ!」

という強迫観念めいた気持ちがあったのですが、

それもだんだん薄れてきています。

 

たぶん、余計な恨みもイライラも感じなくなったおかげで、

職場の人たちとふつうに話せるようになれたんじゃないかなぁ。

それがとてもうれしい。

 

それに、ほかの人がわたしを手伝ってくれたり、

思いやってくれることに素直に感謝できるのも幸せです。

 

前は、何かしてもらうとすぐに「お礼しなきゃ! お返ししなきゃ!」と

ほんと、駆り立てられているようで、忙しなかった。

 

自分が下心(認めてもらいたい! 嫌われたくない!)満載で

人のことを手伝っていたからでしょうね。 

他人の善意を信じられなかった。 

 

落ち着いてみていられるようになってやっと、

かなりの人がただ、純粋な気持ちで手伝ってくれているんだと知りました。 

 

人間ってすごいね!

 

ただ、この気持ちを持ち続けるためには、

無理のない範囲で自分からもなにか与える必要があるだろうと考えました。

ただただ与えられるのを待つばかりでは、

与えてもらえないときに人を恨むようになるだろうと思うし。

与えすぎては、前述のとおり、恨んでイライラすることになるでしょうから。

 

与えるものも与えられるものも、ほどほど、適量を目指す!

バランス大事!

 

なのでわたしは以下のマイルールを作ってます。

 

・トイレットペーパーの芯が置いてあったら、ごみ箱に捨てる。

・トイレットペーパーの交換を積極的に行う。

・トイレが汚れていたら、自分にできる範囲できれいにする。

 

見事にトイレばっかり(笑)

 

なんでトイレかと言うと、あまり人目に触れないから。

わたしは他人に見せびらかし、認めてもらうために善行を利用する人間なので、

人に知られにくいものがベストと判断しました。

 

そして、無理をしない。(これが一番大事)

できなくても自分を責めない。

 

でも、なにかイライラしたり、ムカついたときには

何が何でもやる。

 

他人にムカついているとき、腹が立っているとき、

ほんとうにちいさな善行をすると、

なんか、表現しがたいのですが、ブレイクスルーできる気がするので。

 

ちっさいことですけど、

「これは立派な社会貢献!」

 

と思ってやってます。

 

自己満足です。それでいいんです。

こういうことをぐだぐだ考えるのが好きなのです。

 

という、真夜中のつぶやきでした。

おやすみなさい。