晴れても曇っても雨降っても

目標を探すのが目標。そんな日々。

【日記】むなしさを考える②

こんばんは!

 

①につづき、メンタル系です。

これはわたし個人の考えですので、まあ、「こんなこと考えてる人間がいるのだな~」と流していただければ幸いです。

 

さて、わたしは自分の生きづらさが、実は自分が一生懸命生きていたからだ、ということに思い至りました。

 

犯人、わたし。

 

わたしが犯人であると受け入れることは、同時に希望でもありました。

だって、わたしがやったことなら、これからやり直せばいいわけですからね。

過去はすでにわたしの手を離れ、やり直しはきかない。

 

多くの偉大な方々がおっしゃる通り、過去の事実は変えられないが、解釈を変えることはできる。

 

✖✖なことをされたから、わたしは○○できないのだ。

という決定論をとるか、

✖✖なことをされた。だけども、わたしは○○する。

自分の目的にフォーカスするか。

 

できないことの言い訳を述べ続ける生き方を選ぶか。

自分の目的を達成する。そのことに力を与える。与え続ける生き方を選ぶか。

 

ただし、できるとかできないとかは実は全然重要ではないんですよね。

わたしはこれを見誤って、「こういう生き方が正しい」というような、うわべを取り繕う方向に行ってしまって、また苦しむことになったのでした。

 

ちなみに、いまのところは、過去にあった辛いことは、思い出すとちょっと「あ~、あんなこともあったよなぁ」という程度。

そのおかげで今があるとも、つらかったよな、悲しかったよな、みじめだったよな、とも思いますが、かつてわたしを押しつぶしたほどの力はない。

色鮮やかさを失い、セピア色とでもいいましょうか。

きっと、その役目を終えて、おさまるべきところに収まったのだろうと思います。

わたしのすべてはわたしのためだけに存在するわけで、その『つらい記憶』にも役割があって、わたしを支え助けてきたのでしょう。

たとえその時には、見たくもない姿をしていたとしても。

つまり、つらい苦しいという感情は、わたしのためになんらかの役割を担って現れてくれているんだということです。手加減してほしい…。

 

さてさて、わたしは『自分は全身全霊で生きていた』ということに気づき、いろんなところに分散させていた力を自分の中心に取り戻すような感覚を味わいました。

 

なんていうか、身の内から力がみなぎる感じ?

わたしはそれがとてもうれしかった。自分の力を感じられた。それは、だれかに勝ったとか負けたとかではなく、自分の中にもともとあったものだと思えたから。

だから、この世のすべての人にもそういう力はある。そんな風に信じられた。

 

 

これで、「仕事も恋愛も絶好調❤ しあわせです❤」

めでたしめでたし、ならよかったんだけどねぇ…。

 

そうはならず、いまだに悩みや苦しみは尽きません。

 

力を感じたけど、その使い方にかなり悩みました。

「他人のためなんて言っても、結局自分のことしか考えてないんだから、だったらストレートに自分のために生きよう!」

そう思っても、それまでのまだるっこしい「いい人」「やさしい人」の生き方をスッパリ止めることもできず、「なにが自分のためなんだろう?」ということを悩むことになります。というか、これは現在進行形で考え続けている。

 

たぶん、わたしは『こんなふうになる』ことが正解なんだ! それを目指すんだ!

と燃えていたんだけど、どうやら違ったみたい。

あ~がっかり。

 

なにかわかりやすい『正解』を欲していたけど、う~ん、それは違うんでしょうね。

状況も変わる。わたし自身も変わる。

ただ、自分の目的を忘れずに「やってみるか!」と、フットワーク軽く挑んでみるしかない。

 

いまのわたしの心の合言葉?は、「とりあえずやってみよー」です。

価値があるとかないとか考えてしまう前に、機会があるなら乗ってみよう。なんかのめぐりあわせなんだろうから。

 

一生懸命これには価値があるのか? ないのか? って考えてみたけど、結局、わからなかった。

 

だから、敢えての『なにも考えずに、飛び込む』

 

いまは、これをやるとむなしさが薄まる気がしています。

下手の考え休むに似たりってことなのかな~。

なんか、すごく偉大なことを成し遂げたかったのにな~。

 

でも、ちょっとしたことでもやりたいと思い、それを実行できるって幸せなことなんだろうな。

 

では、また。