【日記】課題の分離③
こんばんは!
昨日はあんまりお話がまとまらず…。
飲み会があって、出掛ける時間ぎりぎりまで書いてたのですが…(言い訳)。あ、飲み会はとっても楽しかったです。
やっぱり、毎日更新って、大変なんだなぁ。
なにかしら書こうと思えば書けるかもしれないけど、わたしはなかなかうまくまとめられないみたい。うん、うまくまとめようと思わず、とりあえず書くしかないですね。
というか、やっぱり変な気負いと言うか、「うまく書きたい」という気持ちが強いみたいです。ああ、承認欲求!
アドラー先生は承認欲求を 否定しています。
承認欲求が強いほど、自己中心的になります。え? と思いますよね。他人から認められたいと思っているのに、『自己中心的』という矛盾。
承認欲求とは、他人から認められたいと思うこと、つまり、他人から嫌われたくないということ。
考えているのは、「わたしがどう思われているか?」だけで、実は『自分のことしか考えていない』のです。嫌われたくないと思いながらも、実際は、相手のことなんて一切見えていないのです。
「嫌わないで」「わたしを認めて」と、顔もわからない人たちに、対象無差別に縋っているようなものでしょうか。
だけどね、承認欲求、というか、他人の敷いたレール、他人の期待と言うものに縋りたくなる気持ちも完全には払しょくできないのです。
完全な自由が怖くもあります。嫌われるのが怖いというより、自分の進むべき道を自分で決める重さが怖いのです。
他人が決めた、他人の期待を満たす、不満もストレスもありつつ、自分に責任を感じないで済む気楽な生き方。それも良いんじゃないかと思える。
でもまあ、その生き方はいつでもやろう思えばできるので、とりあえず、アドラー先生の対人関係のゴールを目指してみたいとも思うんですよね。
他者がわたしをどう思うか、どう評価するかは他者の課題として介入せず、自分の人生に嘘をつくことなく、ただ、自分のやるべきことをやる。
やるべきこと、というのは人生の三つのタスク。
「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」
難易度は仕事のタスクが簡単で、次いで交友のタスク、もっとも難しいのが愛のタスク。
たとえば、仕事上のやり取りはできるけど、同僚と雑談するのは苦手で、とうぜん恋人なんて作れない。
前の職場でのわたしだな。あ、恋人はいまだに居ませんけどね。
対人関係のゴールは『共同体感覚』です。
課題の分離をしたうえで、『他者』を敵ではなく、味方として捉えられれば、味方の中で暮らす安心感の中に生きることができます。
味方と思うことが難しいんだけど。
味方と思うために必要なのは、自己中心的な考え方、自己への執着を捨て、他者への関心を持つこと、だそうです。
だから、承認欲求は否定されるのです。自己執着の表れですから。
そして、他者への関心とは、具体的には、「わたしはこの人になにを与えられるか?」と考えることだそう。
自己執着していると、「この人はわたしになにを与えてくれるのか?」ばかりを考えてしまうのです。これは、よくわかる。
まあ、つまり、わたしのすべきこととは、職場の同僚のためになにを与えられるか? 友人のためになにを与えられるか? 好きな人のためになにを与えられるか?
これを考えて、実行する。とてもシンプルなお話なんですけどね。
ああ、今日もまとまらない~。
また明日!