【日記】自分の居場所の感じ方
こんばんは~!
もう5月が終わって、6月ですね~。
日差しも強いし、暑くなってきました。
あ~、ずっと春ならいいのにな~。
暑いのも寒いのもつらいです。
まあ、避けられないことなので体を慣らしていくしかないのかな。
11時台で寝るプロジェクトは、3週間の内、1日だけ遅くなりましたが、金曜日の夜だったので、車の運転には悪影響はなかった、はず。
昨日も、日付をまたぐ直前に布団に入りました。
まあ、1、2時に寝るのが当たり前になっていたころと比べれば、良い感じ。
あ、個人用のお菓子はまったく買わなくなりました。これはべつに思ったほどストレスなくできている。というか、お菓子買うこと忘れてる。
最近は、じゃがいもふかしたりして食べるようになりました。とてもうまい。
あと、基礎体温も高温期が安定していて、キレイな二相のままでした。やっぱり、このままちゃんと生活を整えていこう。
さて、タイトルですが。
最近、別の職場に応援にいくことがありました。
そこで感じたことなのですが。
仕事自体はとても順調でした。
わたしが普段からよくやってるような業務だったので、はじめての現場でしたが、とくに問題なくこなせました。
ただ、そこには知り合いなどはいなくて、以前なら、不安で仕方なかったかもしれないです。
そう、実は、ぜんぜん不安とか感じなかったんですよ。
それがいわゆる『普通』なのかもしれないけど。
これまでは、誰も知り合いのいないところに行くのに、すごく神経質になってたんです。
「ひとりぼっちになるかも」「だれにも話しかけられなくて、すごく気まずい気分を味わうかも」「話しかけても、なにを話せばいいのかな」
などなど。
『ひとりぼっち』を異常に恐れていたんです。
まあ、完全にその気持ちがなくなったわけではないと思うけど、今回は、とあることがあるまで、そもそもそんな不安が頭に過ること自体なかったんです。
同じ現場で作業していたとある方で、すごく明るい雰囲気なのですが、作業が終わって後片付けで三人になったとき、あからさまにわたしに背を向けて、もうひとりの方とお話をし始めたんです。
この時、わたしはこの行動を攻撃とはとらえませんでした。
それが普通かな? 今までは、「これはわたしを仲間外れにしようという攻撃だ!」と、相手の行動の理由を妄想して、すごく自分で勝手に傷ついていたのですけど。(課題の分離でいけば、そんな他人の考えを推測しようとすること自体がムダなこと)
今回は、ああ、ひとりになっちゃったな~とは思いましたが、でも、それがどうしたっていうんだろ? あれ、ぜんぜん平気じゃん。
むしろ話しかけられなかったので、水分補給して、ゆっくりとトイレに行って、帰り支度を済ませることができたので、定時でサクッと帰ることができました。
もちろん、笑顔で「お疲れさまでした~」とあいさつしましたよ。
なんていうか、いままではどうやれば超えられるかわからなかった壁を、知らぬ間に超えられていたことを教えてもらえた感じ。
何かをしたってわけじゃないけど、「あれ、ぜんぜん平気になってた」という気付きをもらえました。
ひとりぼっちが怖い、という気持ち自体はなくならないと思うんです。それは、人間であればいたって普通の感覚だと思うので。
ただ、そのせいで自分らしくない行動をとれば、嫌な気分になると思うので、そういう行動をとらずに済んでよかった。
たとえば、その、わたしに背を向けた人を恨む、とか。
まあ、正直いい気分ではないけど、でも、これまでのような被害妄想で相手を憎み、自分をみじめに責め立てるような真似をせずに済みました。
これは、わたしが無理やり自分を納得させて「ひとりでも大丈夫」って言い聞かせているわけではないので、わたしとしてはすごいことなんですよ。
(よく、無理やり言い聞かせてたからね)
たぶんですけど、今回大丈夫だったのは、『自分の居場所』があると思えている、感じているからかな~と。
どこに? といわれると困ります。どこなんだろう?
とりあえず、「わたしここに居てもいいの?」と思わずに、
「わたしはここに居ていいんだ」と思っていたんでしょう。
アドラー先生のいう、所属感ですね。
ということは、わたしはいま、人生のタスク(仕事・交友・愛)から逃げていないってことなのかな?
人生のタスクから逃げようとすれば、また、他人の行動で自分の気持ちが揺さぶられていると妄想して、自分を痛めつけてしまうのかも。
まあ、そうなっちゃうこともあるかもしれないけど、できれば、そんな風に思わずに自分の居場所を感じながら生きていきたい。
その基本は日常生活のなかにあると思うので、今日も11時台で寝られるように頑張ろう。
では、また。