【日記】第二の習慣:終わりを思い描くことから始める③
こんばんは!
今日はゆっくり過ごすはずが、けっこう活動的でした。
といっても、いやいやで、自分の主体性って…。と思い知りました。
うちの父のほうが腹くくったら、行動早くて、そういうところは尊敬しています。
わたしは、やっぱりまだまだ及び腰のところがあって、「うわ~やだー!」となっていて、情けないです。が、父の「ほらやるぞ!」の声で、「そうだな、やらなきゃな」と思い、なんとかこなしてきました。いやいやだけど。
主体性、リーダーシップ、生きる上では必要だと思いました(大げさ?)。まだ、ふたつとも弱々しいけど、育てていかなきゃなぁ。そして、ちかくにそういう力を発揮してくれる人がいると助かりますね。再認識しました。でも、いつまでも人に頼って、任せてばかりではいけないことはわかっているんだ…。
まあとりあえず、やらなければならないことがかなり進んだので、本当にありがたかった。
さて、ここからまた一週間がんばろう。
(先週の日曜日から連続更新にチャレンジ中なのです)
第二の習慣:終わりを思い描くことから始める
続きです。
眠りにつく前に、ちょっと自分に問いかけてみたんです。
わたしにできる周囲の人たちへの最大の貢献って何だろうと。
思いついたのが、「あなたはここに居てよい。あなたはここに必要な人です」と伝え続けること。でした。
わたしの敵も、味方も関係なく、そういう気持ちで接していく、と言うことです。
具体的には、みんなににこやかに挨拶する。話しかけられたら、快く応じる。けっして無視をしない。過剰な批判をしない。(被害妄想で、相手を責め立てているところがあるとわかったので…)
わたし自身が辛かった時、ひとの何気ない挨拶とか態度にほんとうに心から助けられたり、あるいは、傷つけられたりしてました。弱ってる時って、ほんと些細なことにグラグラ揺れ動いてしまう。
誰一人として、わたしも、ここに居てはいけない人なんていない。みんなが必要な人。
それがわたしの持つ原則のひとつ。わたしの人生を貫く価値観。
それは、もちろん、わたしが好きだと思う人も、嫌いだと思う人も、区別しない。
まあ、眠りにつく前には落ち着いてゆったりとした気持ちだから、そういう風に思えるのでしょうね。実際、苦手とする人には、ぎこちなくなってしまいますが。
でもま、わたしのでっかい目標として、こういうものがある。そして、今は、できることはこのくらい。だからわたしはこちらのほうへ向かう。今、わたしにできることをする。といったところ。
しかし、不思議なものです。
わたしは結構ずっと社会的地位を築きたいとか、何らかの分野で名をはせたいとか、そういうことを考えていたのです。ま、そういうことを成し遂げられるほど努力もしなかったし、調べもしなかったので、そういうものを手に入れられていないのは当然の結果なのですが。
わたしの終わりを考えたとき、周りの人たちに遺したいものは?
わたしの名声、栄誉を覚えていてほしいとは思えず、ただ、みんなが、前向きに生きる手助けができていれば、それでいい。わたしがみんなを好きだったこと、みんなのおかげで幸せだったことを知っていてほしい。みんなにとっても、わたしはかけがえない、大切な存在だったと思ってほしい。
ただ、名声や栄誉を目指して邁進するわけではなく、わたし自身の能力を伸ばし、わたしにとってはもちろん、周りの人にとっても役立つような勉強なんかはしていきたい。
なんだかんだ、勉強してきてよかったなと思うので。
そして、職場でも、ひそかに野望を持っています。
ずっと問題とされているけど、なかなか解消が難しいもので、もちろん、わたしがぱぱっと解決できるようなものではないのですが、それに取り組みたい。まあ、ぜんぜん、わたしに何ができるのかもわからないけど。
主体性を働かせ、まずは、下っ端とはいえ、「わたしに責任はありません」と逃げず、わたしに責任があると考えて取り組んでいきたい。まずは、調べることからかな。
あ、もちろん、もともとわたしに責任のある仕事もがんばりますよ。
『何かを達成』することが大事なんだと思ってきました。
もちろん、それも大切なんだけど、なんていうかそれよりも一段深いところにある自分の目的を意識することが大切なんじゃないかと思えました。
「あなたはここに居てよい。あなたはここに必要な人です」
そういう態度をとり続けることを『達成』するのはもちろん大切だけど、たとえ失敗したとしても、その時々で出来ることを考えて、少しずつでも取り組んでいく姿勢。それを持ち続けられるのなら、それはそれでいいのではないかな。自分に甘すぎるかな。
さ、おなかが減ったので焼きそば作ります!
ではまた明日!