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【日記】『白雪姫』を考える

こんばんは!

 

年度末ですね~。

ばたばたしてます。

 

最近、車の運転をしながら、すごく感動する話を思い出して、泣きながら出退勤してます。花粉の季節なので、ごまかしながら。

で、そのお話のことを書きたいなぁと思っていますが、その話をする前におとぎ話の『白雪姫』のことを書きます。ちょっと思うことがあって。

 

まあ、いつも通りメンタル系のお話です。

これはわたしの個人的な感想ですので、ご了承ください。

 

さて、まずは白雪姫です。

有名なグリム童話です。グリム童話とは、グリム兄弟が集めた昔話のこと。グリム兄弟が創作したのではなく、昔から語り継がれてきた物語を収集したものです。

昔から言い伝えられてきた物語には、なんらかの意図が込められている、という見方で解釈した本を昔に読んだことを思い出しながら、そのことを書いていきたいと思います。(うろ覚えです)

『白雪姫』は母から娘への嫉妬、そして娘の克服の物語である、という見方です。

まずは、『白雪姫』のあらすじ(ウィキペディア参照)から。

 

(知ってる、という方は読み飛ばしてくださいね)

とある国のお妃さまが、「雪のように白い肌、血のように赤い唇と頬、黒檀の窓枠のように黒い髪」をもった美しい子どもが欲しいと願い、その願いの通りのお姫さまが生まれた。その優れた容貌から、「白雪姫」と呼ばれるお姫さまは、年々美しく成長していく。お妃さまは魔法の鏡を所有しており、「この世でいちばん美しいのはだれ?」と問いかけると、「それはお妃さまです」と答えている間は満足していられたが、ある時から、「それは白雪姫です」と答えるようになったことから、妬みのあまり白雪姫を殺す決意をする。猟師に命じて白雪姫を殺害し、その肝を食べようとしたが、猟師は白雪姫を哀れに思い逃がしたため(とはいえ、獣にでも殺されるだろうと思っていた)、偽装するためにイノシシの肝を持ち帰る。森をさまよい七つの山を越えて見つけた山小屋で、白雪姫は七人の小人に出会い、家事をすることを条件に住まわせてもらうことになる。

白雪姫は死んだと思っていたお妃さまは、いつものように魔法の鏡に問いかけるも、「それは白雪姫です」という答えに、白雪姫が生きていることを知る。もはや自ら出向いて始末するしかないと、物売りに扮して白雪姫を殺そうとする。

二度目までは小人たちの助けで生き延びたものの、三度目の毒リンゴでは小人たちでも救うことはできず、死してもなお美しい白雪姫をガラスの棺におさめて弔うが、そこに偶然通りかかった王子さまに見初められる。死体でも構わないからと、棺ごと連れていくが、移動する際に棺が揺れて白雪姫の喉から毒リンゴのかけらが吐き出され、蘇生する。生き返った白雪姫をみた王子さまは喜び、そのまま自分の国へ連れ帰り結婚する。結婚式では、お妃さまは真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされ、死ぬまで踊らされた。

 

 

まず、グリム童話の初版では、お妃さまは一貫して白雪姫の実母です。グリム童話はグリム兄弟の創作ではないのですが、おそらく、いろんな配慮の結果、第二版以降は可愛い娘が生まれてほしいと願っているのが生母で、嫉妬に狂って殺そうとしているのは継母ということになっているようです。

美しい娘に育ってほしいという『良い母』と、自分よりも美しいと知って、嫉妬のあまり殺そうとする『悪い母』がひとりの人間の中にいる、ということを示唆しているのでしょう。

また、お妃さまの夫、白雪姫の父、王さまに関する記述はありません。生きているのか死んでいるのかもわからない。白雪姫はこんなにひどい目に遭っているというのに、「お父さん助けて」とも、「お父さんはどうしてわたしを置いて死んでしまったの」とも考えません。夫、父の影がとても薄いです。暴走する妻を止めることもできないし、窮地に陥った娘を守ることもできない存在です。

白雪姫は山小屋で七人の小人と出会います。このお話にはあんまり登場人物はいないのですが、いきなり七人も出てきます。おそらくは比喩で、たくさんの人々、といったところでしょう。そして、『小人』。これは、白雪姫の恋愛対象外である、ということを示しているんでしょう。白雪姫にとっても、小人たちにとっても。お互いにまったく恋愛、ぶっちゃけ、性的な意味での相手にはなり得ないということです。

わたしは、白馬に乗った王子さまよりも、この七人の小人たちのほうが白雪姫に先に出会うことが重要なのだろうと思います。

お城を追い出されてすぐに王子さまに助けられるという、それこそ夢物語でもいいはずなのに、その前に、小人たちとの共同生活を送る必要がある。

家をきれいに整え、食事を作り、衣服を繕う。小人たちが白雪姫に求めているのはそういうことだけで、絶対に性的な目で見てくることのない、脅かされることのない安全な空間で、協力し合って暮らす。

小人たちはかわいい白雪姫がいてくれてうれしいし、白雪姫も小人たちに守られて、ひょっとすると生まれてからはじめて安らぐことができたかもしれません。

小人たちはお妃さまが白雪姫が生きていることを知れば命を狙うだろうと、白雪姫に警戒しなさいときつく言いつけますが、白雪姫は三度もお妃さまと接触した挙句、怪しさ満点のリンゴを口にします。

いかにも不審な物売りに対し、あまりにも無防備な白雪姫は馬鹿なんでしょうか?

おそらく、それが母であるお妃さまであること、自分をねたんで殺そうとしていることを、白雪姫は誰よりもわかっています。

でも、それでも「そんなはずはない」「愛されていないはずがない」「殺そうとしているんじゃない」と、それを証明するために、毒リンゴすらかじりました。

しかし、結局のところは三度とも助けられ蘇生していることから、白雪姫は、最後の一線では決して警戒を怠らなかったともいえるのではないでしょうか。本当に愚かだったなら、とっくに死に至っていたでしょう。

さて、毒リンゴを食べた白雪姫のことは、小人たちでは救うことができませんでした。小人たちの限界です。そこで、白馬に乗った王子さまが登場します。

王子さまということで、この登場人物には白雪姫との恋愛・結婚が許されています。ですが、はっきり言って記述が少なく、王子という身分だけしかわかりません。(死体愛好家とか深読みされているし)

でも、最後の一文で納得できます。

白雪姫と小人たちだけでは決して到達できないエンド。

お妃さまの処刑です。(許すエンドも存在しています)

小人たちは白雪姫が身を守れるようにアドバイスをしてくれますが、武器を持ってお妃さまに立ち向かうことはしません。(類話には武闘派の小人さんもいるようですが)

白雪姫が幸福に生きるには、自分のために、お妃さまと戦わなければならない。それも、逃げも隠れもせず堂々と。そして勝利を収めなければならない。

記述のほとんどない『王子』は装置のように思えます。

文字通り殺されかけた白雪姫が、ようやく母からの愛を諦め、母は自分を愛していないという現実を受け入れたときに現れる装置。

小人たちと出会っていなければ、生きる気力もなくしていたでしょう。幸福を知らなければ、幸福に生きようとも思えない。だからこそ、王子さまよりも先に小人たちと出会う必要があるのです。

しかし、小人たちとの暮らしをただ続けるのでは、常にお妃さまの影におびえて暮らすことになります。このどうにもならない状況を打ち破るために必要になるのが、王子さまです。

こう考えてみると、白雪姫は自らの幸福のため、お妃さまの下手な芝居に乗ったふりをして死にかけ、あえて絶望の底からよみがえろうとしているみたいですね。

そしてよみがえったのなら、王子さまとともに一切の躊躇なく、容赦なく、お妃さまを処刑する。お妃さまが行ったような生ぬるい方法ではありませんし、しっかりと最期まで見届けたでしょう。

 

まあ結局、『白雪姫』は、

「不運にして両親からの愛に恵まれなかったのなら、世の中の善良な人々と適切にかかわりを持ちなさい。そこで愛と幸福とを知ることができたのなら、愛のなかった両親のことは(心の中で)完全に殺し、自分の幸福をつかみなさい」

という教えでしょうか。

 

親だからと言って、子どもに嫉妬しないわけではないよ。必ずすべての親が子どもの幸福を願えるわけではないんだよ。そして、血のつながりがなかったとしても、あなたの幸福を願い、勇気を与えてくれる人も、この広い世の中にはいるんだよ。だから、諦めずに生きていてほしい。

そんな教訓。

 

予想以上に長くなった…。

 

ではまた。