【日記】関心の輪・影響の輪/人生の嘘②
こんばんは!
寒くなったりちょっとあったかくなってみたり、目まぐるしいです。
あ~、何はともあれ、手袋を買わねば。
昨日は、『関心の輪・影響の輪』のお話から、アドラー先生の『人生の嘘』をお伝えしました。
『人生の嘘』って、わたしはいっぱい吐いていたし、いまだに隙あらばついていると思います。
だいたい、なにかしたくないとき、面倒なとき、あとは何もしていないことに対する言い訳です。
「時間がないから」「いま忙しいから」「いろいろ大変だったから」
言い訳していることに気づいたら、「あ~言い訳してるな。わたしに何ができるかな?」
弱っている自分にもできそうな、小さなことを探して、実行!
いきなり強くなれませんから、自分にできることでいいんです。自分は今、そのくらいのレベルなんだ、と認められれば楽になれます。
「大人なんだから、このくらいのこと出来なくてどうするんだ!」
と、自分の中で暴れるモノを感じることもありますが、言い訳せず、「でも、それでもわたしの現実はこれだ。ここから始めていくしかない」と肚をくくると、だんだんその声が治まっていくのを感じます。
そう、「時間があれば、わたしはできる」「お金があれば、わたしはできる」「才能があれば、わたしはできる」「人生に何の障害もなければ、わたしはできる」「完璧な両親・完璧な友人・完璧な恋人・完璧な同僚がいれば、わたしはできる」
「本当のわたし」は、すごいんだから。
と、こういう可能性に逃げる態度も「人生の嘘」です。
わたしには実際には有り余る時間もお金も才能もないし、完璧な人間に囲まれているわけじゃありません。
そして、それがわたしの現実です。
その現実の中で、自分にできることをする。つまらなくて地味なことです。
つまらなくて地味なことですが、できると嬉しいです。夢に思い描いていたような大活躍じゃないけど、じわじわと、周りの人との協調と言うものを知ることができる気がする。
わたしは英雄でも、天才でも、超能力者でもないので、周りの人々との協力がなければ充実した人生を歩むことは難しいでしょう。
アドラー心理学も、コヴィー博士の『7つの習慣』も目標は、
依存⇒自立⇒相互依存
自立の先に、『公的成功』すなわち実りある人間関係の構築があります。
人間関係からすべての苦しみは生まれますが、最高の喜びを与えてくれるのも、また、人間関係、なのだそうです。
ただ、自立を果たしていないと、相互依存には到達できないらしいので、まず、目指すのは自立です。それに、自分にどんなことができるのかを知りたくもあります。
「人生の嘘」をやめ、『影響の輪』(自分でコントロールできる領域)に力を入れる。
すごくシンプルですが、まあ、それが難しい。
こんなことしてたって、いったい何になるの?
そういう気持ちがよく襲ってきます。
答えはまだわかりませんが、やってみなければわかりません。
うまくまとまりませんが、また明日!
【日記】関心の輪・影響の輪②/人生の嘘
こんばんは!
今日は眠いです…。
ま、あとでぐっすり眠れることを夢見て、頑張って書くぞ!
昨日の続き、まずは『関心の輪・影響の輪』のお話から。
自分がどれほど『主体性』を持っているのかを見るのに、『自分のコントロールの及ばない関心の輪』と『自分のコントロールの及ぶ影響の輪』のどちらに意識を向けているかでわかると書きました。
さらに、自分の持つ考え方からも知ることができます。
『関心の輪』に意識が向いていると、『所有』の概念であふれるそうです。
英語圏なので、それをhaveで表現していましたが、だいたい、以下のようなものです。
・「家さえ持っていれば…」
・「もっと部下思いの上司を持っていれば…」
・「もっと忍耐強い配偶者を持っていれば…」
・「もっと素直な子を持っていれば…」
・「学歴さえ持っていれば…」
・「自由になる時間を持っていれば…」
反対に、『影響の輪』にはある(be)が満ちています。
・「わたしはもっと賢くある」
・「わたしはもっと忍耐強くある」
・「わたしはもっと愛情深くある」
『影響の輪』にフォーカスすることは、人格を磨くことです。
問題は自分の外にあると考えるのならば、その考えこそが問題であり、その考え方では自分の外にあるものに支配されているということになります。アウトサイドインですね。
わたしの例で言えば、アクセス数です。
「もっとアクセス数があれば…」ブログを書く気になるのに。
「もっとはてなスターがあれば…」ブログ更新がんばれるのに。
なので、今のところ、あの、「アクセス数0!」事件からこっち、アクセス数は確認してません。
「わたしはブログを書くため、忍耐強くあるぞ!」
ですかね。
余計なことをごちゃごちゃ考えなくてすんで、ただ書けばいいだけなので、やり始めてしまえばわりとできるものなんだと、びっくりしてます。まあ、クオリティは…ね。
かつてのわたしなら、「もっとまともな両親だったら…」「もっと実家にお金があって、何不自由しなくてすめば…」「もっとわたしの頭をよく産んでくれていれば…」とかですね!
わ~! 懐かしい!
この部分を読んで、『嫌われる勇気』で有名なアドラー先生を思い出したので、そのことも書きます。てか、『7つの習慣』のこともチラッと書いてあったんだよね。
わたしはフロイト先生が好きなのですが、アドラー先生もいけます。(どんな自慢)
フロイト先生の「無意識に意識を有らしめよ」は、大好きな言葉です。
ですが、このお二方は原因論と目的論と言う相いれない(らしい)考え方の持ち主なのです。
例・「両親がしっかりしていない」から「わたしは不幸」になった。
アドラー先生は目的論。BのためにAを使用する。
例・「わたしは不幸」のために「両親がしっかりしていない」を言い訳に使う。
『7つの習慣』は明らかに目的論に立脚していると思います。
それは、「人は変われる」という考え方です。原因論では、原因があれば結果は決まってしまうので、自分の力で変えることはできなくなってしまいます。
「自分に責任がない」と思えるし、「自分は変わる必要はない」ですからね。
不幸だし、不満も尽きないけど、「これまでと違う」「どうなるかわからない」ことをしなくてよいのですから。
「わたしは不幸」でしたが、幸せになるために考え努力することではなく、「その状態を正当化するための言い訳」を探し、それを後生大事に抱えることを選択していたのです。
そのために「両親がしっかりしていない」とか「両親の金銭管理がなってない」などの粗探しをするのです。人間は、どんな人にもどんな状況にも難癖をつけることができます。
「お金がないから」「時間がないから」「恋人がいないから」「結婚していないから」「友達がいないから」「良い上司がいないから」「良い部下がいないから」
そのせいで、わたしは不幸なんだ…。
そう思っている人がいるなら、おもしろい見方があります。
ひょっとするとそれは、「わたしの不幸」を正当化するためにかき集めてきただけにすぎないのかもしれません。
あの、重苦しく、どうしようもなく、びくともしない、「わたしの不幸の原因」が、実は、自分が選んできたものだとしたらどう感じるでしょう? 世界が変わって見えないでしょうか?
アドラー先生によれば、人の悩みは人間関係の悩み。
かき集めてきた数多くの「わたしの不幸の原因」を口実にして、人生において取り組むべき課題を回避しようとする事態を、「人生の嘘」と呼びます。
「人生の嘘」だったと認められることが幸せか否かはわかりません。
そのまま、「そうはいっても、これが原因でわたしは不幸なんだ!」と言い続けるほうを選ぶ人もいると思います。
「人生の嘘」だったと認めても、ただちに幸せになれるわけじゃないですからね。
ただ、いままで長年やってきたことがむなしくなった後に、なぜか重荷をおろしたような気分になって、気が楽になった、とはお伝え出来ます。
あ~、書いてたら楽しくなって眠くなくなってきちゃったな~。
また明日!
【日記】関心の輪・影響の輪
こんばんは!
今日はちょっと余裕があると思っていろいろ雑事をこなしたら、結局いつもと変わらなくなった。
第一領域(急ぎの用事)が終わらないんだよ~!
第二領域(将来にポジティブな影響を及ぼす活動)にフォーカスすべきなんだけど、それができない…。
抜本的な見直しが必要なんだけど、それにはどう考えても「ちょーめんどくさい」ことをしなきゃいけない。その、めんどくささに負けている。
ま、いきなり全部変わるなんて、そんなのは無理だからね。こういうことを考えているだけでも、成長したと思おう。
さて、今日は『主体性』に関わることを話題にしたいと思います。
『主体性』はすべての基本となる部分です。人生の土台とか、筋肉とか言われてます。
第一の習慣ですね。
自分がどれほど主体的かを知るのには、自分の時間とエネルギーを何に向けているかを意識することでわかります。
自分が興味関心懸念を持っている物事を思い浮かべます。自分自身の健康や家族のこと、職場のこと、国家財政、国際的な環境問題などなど。
丸く円を描ぎ、円の内側には、自分が興味関心を持っているモノをいれ、その外には興味関心のないモノを置きます。
この関心の輪の中に入れたモノのなかでも、自分がコントロールできるモノ・できないモノがあると思います。関心の輪の内側に円を描き、そこに、自分でコントロールできる、つまり、影響を及ぼすことのできるモノを入れます。これが影響の輪。
主体的な人は、自分がコントロールできる影響の輪の活動に力を入れるそうです。そして、影響の輪を押し広げていくのです。一方、『主体的』の反対の『反応的』な人は、自分ではコントロールできないことに関心を向けてしまいます。
他者や環境や状況にばかり意識を向けていると、人のせいにしたり、自分には何もできないという無力感、被害者意識を強め、ネガティブなエネルギーが増えて、影響の輪自体が小さくなっていきます。
うろ覚えですが、「世界平和のために何をすればよいのですか?」と問いかけられた時、マザーテレサは「家族にやさしくしてあげてください」と答えたそうです。
世の中の大きな問題を思うのはもちろん良いことだと思いますが、まずは、自分にできること、身近なひとたちに働きかけましょう、ということでしょうかね。
「世界平和」のためならなんでもする! と意気込んでも、実際には、目の前の人たちに対して親切に接することすら難しいときがあると思います。
でも、その難しさに取り組み、時間と力を傾けていくことで影響の輪を広げていければ、それは真の世界平和につながるかもしれません。
まあ、実はわたしは影響の輪に力を入れるようにしているものの、『関心の輪』がとても小さいことがネックでして…。つまり、世間の物事にあまり興味関心がないのですが、それを解消するために、新聞を読むことを習慣にしようと思っているんです。
そんなに奥深くまでは知ることはできないでしょうが、浅く広く見聞を広めるのにはまずは新聞からかな~と。実際、いろんなことが書いてあって面白いですね!
う~ん、今日は足早になってしまったな…。そしてとても説明的文章。
もっとがんばろう。
ではまた明日!
【日記】第3の習慣・最優先事項を優先する②
こんばんは!
今日は寒かった~。
やっぱり、ちゃんと冬支度しなきゃいけません。
手袋を買おうと思っているのですが、なかなか出会えてない。
というより、すぐ買うの忘れるからな…。
さて、今日は、先週の第二領域を意識した予定の振り返りです。
月:新聞を読む。後輩の相談に乗った。〇
火:新聞を読む。家で『7つの習慣』を読み進める。〇
水:新聞を読む。早く帰って楽器の練習。✖
木:新聞を読む。家で『7つの習慣』を読み進める。◎
金:新聞を読む。家で『7つの習慣』を読み進める。〇
土:習い事。両親との約束。祖母のお見舞い。〇
日:ゆっくり休む。歩いて買い物に行く。✖
水曜日は忙しく、新聞よむ暇も、本を読む暇もなかったです。ブログを更新するので精いっぱいだった…。
木曜日は早く帰れたので、楽器の練習も、本を読み進めることもできました!
日曜日は、思ったよりもやらなければならないもの(第一領域)が多くて、というのは言い訳で、用事を終えてからは第四領域(暇つぶし)ばっかりしてしまって、「やっちゃったな~」という感じ( ;∀;)
わたしが買った手帳は、時間軸もあるやつで、どれくらいの時間を費やしたかもわかりやすくて、良い! けど、現実を見つめるのって辛いね。
コヴィー博士は、時間やスケジュールを管理しようとせず、自分を管理しなさい、自分にとって本当に重要であると思えることを選択できる習慣を身に着けなさいと言っていて、ただ単にスケジュールをこなすのが目的ではないのです。
スケジュールどおりにいかないことなんて多々ありますから。それでも、自分の価値観を反映させ、『自分で選択』するということが大事になるようです。
日曜日は効果的な休み方ではなかったな、と思います。ず~っとネットサーフィンしてただけ。音楽聞いて横になってたほうが目も休めて良かったかも…。
こういう振り返りも手帳に書いて、今後に生かせれば、無駄にはならないでしょう。
ま、なにはともあれ、やってみなければわからないですね。
どんなふうにすれば効果的ですか?って無責任に人に尋ねたくなっちゃう。
自分にとって最良のことは、おそらく自分が知っているから、自分を信じてやってみるしかないんでしょうね。
さて、今週一週間のスケジュールは以下の通り。
月:新聞を読む。家で『7つの習慣』を読み進める。
火:新聞を読む。家で『7つの習慣』を読み進める。
水:新聞を読む。早く帰って楽器の練習。
木:新聞を読む。家で『7つの習慣』を読み進める。
金:新聞を読む。家で『7つの習慣』を読み進める。
土:習い事。職場の有志での飲み会。
日:自分の目標を描き出す!
今のところ、プライベートの用事なし! うむむ、自分のことと仕事関係だけとは…。
バランスが悪いな~。それなら、なにか、誰かを誘ってみるのも手だよね。
は~、自分の不得意領域が浮き彫りに。人を誘うって、難しいんですよ~。家族なら平気だけど。あ~、でも自分でこれが足りてないよねってわかってるなら、やるしかないんだろうな。
うだうだしちゃうのは、リーダーシップが足りていないからだとわかってきましたよ。リーダーシップは『第二の習慣:終わりを思い描くことから始める』の第一領域(知的創造)で、人生の目標にフォーカスするということです。
わかりやすく言うと、わたしの人生の目標がはっきりしていない(リーダーシップが弱い)から、なにが正しいのかもわからず足踏みしてしまうんです。
やっぱり、ちゃんと自分の目標・目的を描き出さなければいけませんね。
なので、日曜日は目標・目的を考える日とします! まあ、たった一日でどうにかなるとは思いませんが、とりあえずやってみる!
ではまた明日。
【日記】第二の習慣:終わりを思い描くことから始める③
こんばんは!
今日はゆっくり過ごすはずが、けっこう活動的でした。
といっても、いやいやで、自分の主体性って…。と思い知りました。
うちの父のほうが腹くくったら、行動早くて、そういうところは尊敬しています。
わたしは、やっぱりまだまだ及び腰のところがあって、「うわ~やだー!」となっていて、情けないです。が、父の「ほらやるぞ!」の声で、「そうだな、やらなきゃな」と思い、なんとかこなしてきました。いやいやだけど。
主体性、リーダーシップ、生きる上では必要だと思いました(大げさ?)。まだ、ふたつとも弱々しいけど、育てていかなきゃなぁ。そして、ちかくにそういう力を発揮してくれる人がいると助かりますね。再認識しました。でも、いつまでも人に頼って、任せてばかりではいけないことはわかっているんだ…。
まあとりあえず、やらなければならないことがかなり進んだので、本当にありがたかった。
さて、ここからまた一週間がんばろう。
(先週の日曜日から連続更新にチャレンジ中なのです)
第二の習慣:終わりを思い描くことから始める
続きです。
眠りにつく前に、ちょっと自分に問いかけてみたんです。
わたしにできる周囲の人たちへの最大の貢献って何だろうと。
思いついたのが、「あなたはここに居てよい。あなたはここに必要な人です」と伝え続けること。でした。
わたしの敵も、味方も関係なく、そういう気持ちで接していく、と言うことです。
具体的には、みんなににこやかに挨拶する。話しかけられたら、快く応じる。けっして無視をしない。過剰な批判をしない。(被害妄想で、相手を責め立てているところがあるとわかったので…)
わたし自身が辛かった時、ひとの何気ない挨拶とか態度にほんとうに心から助けられたり、あるいは、傷つけられたりしてました。弱ってる時って、ほんと些細なことにグラグラ揺れ動いてしまう。
誰一人として、わたしも、ここに居てはいけない人なんていない。みんなが必要な人。
それがわたしの持つ原則のひとつ。わたしの人生を貫く価値観。
それは、もちろん、わたしが好きだと思う人も、嫌いだと思う人も、区別しない。
まあ、眠りにつく前には落ち着いてゆったりとした気持ちだから、そういう風に思えるのでしょうね。実際、苦手とする人には、ぎこちなくなってしまいますが。
でもま、わたしのでっかい目標として、こういうものがある。そして、今は、できることはこのくらい。だからわたしはこちらのほうへ向かう。今、わたしにできることをする。といったところ。
しかし、不思議なものです。
わたしは結構ずっと社会的地位を築きたいとか、何らかの分野で名をはせたいとか、そういうことを考えていたのです。ま、そういうことを成し遂げられるほど努力もしなかったし、調べもしなかったので、そういうものを手に入れられていないのは当然の結果なのですが。
わたしの終わりを考えたとき、周りの人たちに遺したいものは?
わたしの名声、栄誉を覚えていてほしいとは思えず、ただ、みんなが、前向きに生きる手助けができていれば、それでいい。わたしがみんなを好きだったこと、みんなのおかげで幸せだったことを知っていてほしい。みんなにとっても、わたしはかけがえない、大切な存在だったと思ってほしい。
ただ、名声や栄誉を目指して邁進するわけではなく、わたし自身の能力を伸ばし、わたしにとってはもちろん、周りの人にとっても役立つような勉強なんかはしていきたい。
なんだかんだ、勉強してきてよかったなと思うので。
そして、職場でも、ひそかに野望を持っています。
ずっと問題とされているけど、なかなか解消が難しいもので、もちろん、わたしがぱぱっと解決できるようなものではないのですが、それに取り組みたい。まあ、ぜんぜん、わたしに何ができるのかもわからないけど。
主体性を働かせ、まずは、下っ端とはいえ、「わたしに責任はありません」と逃げず、わたしに責任があると考えて取り組んでいきたい。まずは、調べることからかな。
あ、もちろん、もともとわたしに責任のある仕事もがんばりますよ。
『何かを達成』することが大事なんだと思ってきました。
もちろん、それも大切なんだけど、なんていうかそれよりも一段深いところにある自分の目的を意識することが大切なんじゃないかと思えました。
「あなたはここに居てよい。あなたはここに必要な人です」
そういう態度をとり続けることを『達成』するのはもちろん大切だけど、たとえ失敗したとしても、その時々で出来ることを考えて、少しずつでも取り組んでいく姿勢。それを持ち続けられるのなら、それはそれでいいのではないかな。自分に甘すぎるかな。
さ、おなかが減ったので焼きそば作ります!
ではまた明日!
【日記】第二の習慣:終わりを思い描くことから始める②
こんにちは!
今日でようやく七日連続の更新。
『7つの習慣』の『第一の習慣:主体的である』の30日テストの一環で、
「30日間、『7つの習慣』のことを念頭に置いた生活をする。自分だけでやっていると、なぁなぁになるから、文章に書き起こして、それを公開することで続けていこう」
というのが連続更新の動機です。
ですが、しょっぱなから、アクセス数を気にし、はてなスターを気にし、なんとも主体性のなさを露呈しながらの更新になってます。
まあ、仕方ないです。主体性の無さを自覚することでしか、主体性を持ちたいと思うことはできないと思うので。
うすうす気づいていたことに直面しているだけです。
昨日の記事を書いてから、ちょっと嬉しいことに気づきました。
自分が『敵中心』で生きていたことに気づけたこと。
これは、今現在『敵中心』の真っただ中にいるのではなく、『原則中心』とはいえないまでも、『敵中心』だった自分を客観的にみることができるようになったからじゃないかと。
客観的に『敵中心』を選択した自分を認められたこと。そう、『敵中心』を選んだのはまぎれもない『自分』だと認められたこと!
これがすごく嬉しかった。自分で選択したものだと認められるなら、違う中心を自分で選択できるってことだ! と気づいたのです。
そして、この『選択の自由』こそが、今、自分の一番深い部分から感じられるちからなんだ、と思いました。
まあ、とはいえ、常に『選択の自由』を感じられるわけじゃありません。その時々に、いろんなものを中心に据えて、主体的の反対の、『反応的』に生きてきたので。
いろんなものを中心に据えていると、その時々の感情・環境に振り回されて、不安定な状態が普通になります。良いことがあればご機嫌で、悪いことがあればイライラして、感情の起伏に自分自身が疲れてしまいます。
なぜイライラするのかと言えば、自分に責任があるとは到底思えないから。
感情が未熟だと、自分自身の感情をコントロールする、コントロールできる、という感覚自体がなく、「こうなっちゃうのは自分のせいじゃないから仕方ない」と、その時々の感情に簡単に振り回されるのです。
でも、もしも自分のためにならないイライラが自分の責任で、自分の力で変えられるというなら、自分のために違う選択をすることができる。
まだあまり慣れていないし、なにが正解かを思い描くこともできていないけど、『原則』を思い描きながら、感情を無視するのではなく、抑圧するのではなく、そういう感情があることを認めながらも、自分の進むべき道は、自分で決めていきたい。決めることができるんだという、強力な宣言です。
親のせいで、周りのせいで、がわたしのお得意の言い訳だった。
誰かのせいと思うことで、誰かを中心に据えた脚本を書いていたのはわたし。
書かされたんじゃなく、書いてたんだ。自ら進んで。
だからわたしには、自分の脚本を書くことができる。
その助けとなるのが、第二の習慣:終わりを思い描くことから始める。
この章の初めに、自分の葬儀(終わり)で、自分とかかわった人たちからどう思われていたいかを、みんなからどんな弔辞をおくられたいかを、心に克明に思い描きましょうという課題が出ます。そこから、「自分はどう思われたいのか、どうありたいのか」を意識するものです。
そうすると、いままで表面上意識していた成功や、普段何気なく取っている周りの人たちへの態度が、この、「自分はどう思われたいのか、どうありたいのか」とはかけ離れたものであると気づくことが多いようです。
そう、その時々の感情や環境を指標にするのではなく、人生を貫く自分の価値観を意識し、「自分の家の設計図」を思い描き(知的創造)、それを実行(物的創造)する。
本にはそう書いてあるのですが、まだ、実践できてません!
ただ、いままで意識したこともないような、「誠実でありたい」とか、「貢献したい」というワードが出てきて、ちょっと驚いています。
ただ単に、この本に影響されているだけかもしれないけど…。
やっぱり、自分の心が静かになれる場所で、じっくりと考えて決めたい。
図書館にでも行こうかな~。
では、また明日。
【日記】第二の習慣:終わりを思い描くことから始める
こんばんは!
唐突ですが、はてなスターの設定を変えました。
つけてくださった方、ありがとうございます!
ただ、アクセス数を気にするのと一緒で、
はてなスターの有無を気にしていることに気づきました。
は~、ただひたすら他人中心の自分です。
今日は、そんなお話を。
第二の習慣:終わりを思い描くことから始める
『7つの習慣』によれば、
第一の習慣:主体的である
これは、自分の人生の創造主は自分であるという自覚をもたらし、
第二の習慣:終わりを思い描くことから始める
これは、自分の人生を創造するということです。
第二の習慣は、「すべてのものは二度つくられる」という原則に基づきます。
まず第一に頭の中で、そしてをそれをかたちにする。
第一の創造は知的創造。第二の創造は物的創造。
家を建てることを例えにしていましたが、誰も、どんな家を建てるか決めないまま釘を打ったりはしない。どんな家にしたいか隅々まで考え抜いて、目的をはっきりとさせてから行動に移る。
人生も同じで、「自分がどうありたいか、どうなりたいか」を決めないまま行動しても、結局、自分が本当に望むものではなかったという結果になりかねません。
ただ、この第一の創造は、つねに意識的に行われるのではなく、他人が決めたシナリオを一生懸命に生きているという可能性もあるのです。
そして、自分の内面の中心になにを置いているかにも、大きく影響をうけます。
『7つの習慣』においては、『原則』を中心に置くことで安定する、としています。
ちなみにわたしは、「お金中心」「仕事中心」「所有物中心」「友人・敵中心」「自己中心」に当てはまりました。当てはまりすぎです。
でも、いちばん当てはまるのは「敵中心」
ひとつだけ選ぶなら、まぎれもなく「敵中心」。これははっきりと言える。
自分の心の安定は『敵』の行動で決まり、つねに『敵』のことを気にし、『敵』に対して批判的な意見を探し、自己正当化する。
行動方針は、『敵』の行動にひきずられ、『反依存』状態。『敵』をどうすれば困らせられるかを基準に物事を決めている。
知恵は、判断力が狭くゆがんでいる。自己防衛の意識が強く、過剰反応し、被害妄想を抱く。
力は、怒り妬み恨み復讐心が力の源泉。このネガティブなエネルギーがポジティブなエネルギーを吸い取ってしまい、ほかのことをする余裕がなくなる。
あ~これだ!(´;ω;`)
っておもいましたね!
ここまでどんぴしゃとかね。もう、降参ですよ。
そうなのそうなの! 『敵』がいるとある意味元気なんだよね! 生きる目標って感じ? 第二領域の『緊急でないかつ重要なこと』なんてやってらんないよ、こんな大事なことが目の前にぶら下がってたらさぁ。
でも、『第一の習慣:主体的である』自分が自分の人生の創造主であることの自覚。
これを思うと、ああ、これは本当は「自分」じゃないんだなと思える。まあ、すぐにすべてを変えられるとは思えないし、『敵』が現れたら、嬉々として中心に据えそうではあるけど…。
でも、まずは自覚しよう。どんなに自分が頼りなく思えても、頼りなく思えるからこそ、自分の原則に従おう。
とはいえ、まだゆったりと落ち着いて自分のミッション・ステートメント(自分自身への宣誓書)を決められてないので、がんばります! あ、いや、頑張る!